取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

ハイロー続編の新キャストが

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ついにキャストが発表されたぞ〜〜〜〜〜〜!見てみるとオタクを全方位的に囲っている???なんて手厚いハイロー保険の福利厚生なの…骨を埋めるつもりで臨まなきゃいけないな…。特に今回の新キャストで注目すべきグループは次の2つ。

①ホワイトラスカルズ

若手俳優オタク的に盛り上がったのはこの2人のIN。

廣瀬智紀に松田凌というオタクの多い2人がホワイトラスカルズに入ることが決まったということで、『私のホストちゃん』かかま騒ぎが始まること間違いなし。すでに撮影は終わってるようですが、『男水!』の撮影からハイローまでずっと一緒だったのかと思うと胸が熱いですね。

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ちなみに彼らが入るホワイトラスカルズというグループは「女を守る」を信条としたスカウト集団。簡単に言えば男臭い世界の中で女に優しい人たちです。

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今現在、稲葉友がオネエ役でいるグループですし、今後いっそうキャラが濃くなることでしょう。

②鬼邪高校

また、ドラマではモブで既出の陳内将も正式参加。ブログで公開している写真の輩感が今からすごい。

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モブ出演時の様子

この輩が山田裕貴の番長を慕っているというのは、ガチバンシリーズを経た人間からすると最高だなあ〜〜〜と思います。忠臣さんと斗氣雄が先輩後輩だってさ〜〜〜!

ハイロー後追いのススメ

HiGH&LOWはドラマと映画でそれなりに長いので、後追いするのにオススメなのは、下記の順で見ること。

映画(THE MOVIE)→ドラマ(シーズン1と2)→映画(RED RAIN)→ライブDVD(THE LIVE)

これを苦にすることなく完走できれば、おそらくあなたはハイローオタクの素質がある。おめでとうございます!!!

つまり何が言いたいかと言うと今からでも遅くないし、若手俳優オタにも優しいから見て。

 

参考記事

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

 

 

中屋敷法仁リーディングドラマ『ぼくらが非情の大河をくだる時ー新宿薔薇戦争ー』

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STORY

舞台は都内の公衆便所。

そこは深夜、男が男を求めて集まる、なまめかしい無法地帯。

正体不明の詩人がどこからともなく現れ、便所の壁や柱を愛撫し始める。

「満開の桜の木の下には一ぱいの死体が埋っている。深夜の公衆便所の下にも一ぱいの死体が埋まっている…」

詩人はそんな妄想を信じて壁や柱を愛おしそうに愛撫する。

そこに詩人が入るために作られた、白木の棺桶を担いだ男が2人。

詩人の父と兄である。

奇行を繰り返す息子を追って、夜な夜な棺桶を担いで走り回ることに、心底疲れ果てた、父。

幻想の中にいる「強くたくましいおにいちゃん」でいるために、弟の混沌に寄り添い続けている、兄。

「にいさん、ぼくは気狂いじゃない。にいさん、ぼくを見捨てないで。にいさん……!」

詩人の叫びは、白昼夢のような真実を浮かび上がらせ、その幻想はやがて非情な現実となってゆく……

中屋敷法仁リーディングドラマ 「ぼくらが非常の大河をくだる時−新宿薔薇戦争−」

物語について

会場で配られたパンフレットにこう書いてある。

同性愛の男たちが群がる奇怪な夜の公衆便所を舞台に、かつての革命運動のリーダーだった青年と、きびしい運動のなかで気の狂った詩人の弟、ひたすら平穏な日常に憧れる父親との激しいドラマが展開する。

この作品が初めて上演される少し前の1960年代。若者の一大関心事は学生運動だった。それが70年代に入り、運動に破れ、疲労した人々は今までと異なる未来を想像するようになる。まるで、今までは運動の熱に浮かされていただけだと言うように。そんな状況で上演された『ぼくらが非情の大河をくだる時』は役者と観客の間で、自らの滑稽さと脆さを共有していた。懇切丁寧に説明しなくとも、詩人・兄・父といえば引用したようなイメージが共有されていたのではないか。詩人は「理想」、兄は「現実と理想の狭間」、父は「現実」だ。きっとその時代に同じ意識のもと今作を観ていたら、私も彼らの滑稽さに腹を抱えて笑っていただろう。実際、当時は観客は大笑いしていたという。でも、その時代を生きていない人間にとっては、いくら説明されたとしても、当時の臨場感は得られない。でも上演中の一時間、朗読劇でこそより感じられる台詞の美しさ中に、分かる言葉や感情を辿っていくような作業をしていくと、瞬間的にこの作品が書かれた70年代に心が移り、そして終演後今の時代に戻ってきた時に、あの時代への強烈な羨望を抱いている自分に気がつく。気が狂うほどまでに熱中した何かを持っている詩人への羨望。私自身も詩人という希望を背負う兄のような心持ちだった。

詩人と兄の関係は依存と言っていい。詩人はパワーとカリスマ性を持った兄を信仰していた。でも、兄はその他の若者たちと同様に運動の夢破れ、志を諦めんとしている。そんな兄を前に、神をも失うことと等しいと感じ、感情を押さえきれなくなり爆発させる詩人の弟。兄も、そうやって一心に信じてくれている弟の存在があったから存在を保っていることができた。兄も兄こそ、弟を失っては生きていけなかった。

また父にも言い分がある。詩人にボロクソに言われても息子たちに訴えたいのは、平穏な日常がどれほどに大切か。そして、平凡な日常が人生の大半を占めているということ。革命運動で命を燃やすような瞬間を生きていても、そんなのは一瞬。それが過ぎれば刺激もない日々が続いていく。そのことに早く気が付いてほしいと思っている。父が必死に育てている薔薇は息子たちそのもの。新宿薔薇戦争という副題は兄弟と父親のドラマそのものなのだと分かる。

弟は自分は狂ってなどいないと兄に訴える。詩人の役割とは時代の見えない部分と結びつくことだ。詩人は必要であるかの如何には関わらず、忘れ去られようとするその人や時を少しでもとどめておく役割を担っている。弟は死んでもなお、別の道に進まんとする兄を引き止める。それが詩人としての役割だから。弟は兄を理想の中に閉じ込めてしまった。

朗読劇について

事前にフラグを立てるようにこんなことを書いていた。

aooaao.hatenablog.com

そして今だから言える「朗読劇で良かった」と。時代が作り上げた作品だからこそ、今の文脈で何かが伝わる作品に仕上げることは至難の技だったと思う。時代背景も、キャラクターも、イメージもだいたい今とは異なっていて、そのまま昔と同じように演ってもリアルではない。例えば、「踊る」とト書きにあって踊ったとしても、おそらく違和感しかない。今の時代に『ぼくらが非情の大河をくだる時』が持つのは、言葉と感情の圧倒的なパワーだったし、それが最も強調される方法としての「朗読」だと、僭越ながら感じることができた。特に、役者が本に向かって感情をぶつけたり、吐露したりするのを正面で目の当たりにすると、それはもう鳥肌が立つというか身動きできなくなるというか、その言葉と感情が他人事ではなくなる感じがした。すごく良い。

キャストについて

Aチーム

演出の中屋敷さんいわく「Bチームはまだ笑える。Aチームは地獄」ということですが、AチームはBチームに比べキャストが若いこともあって、観劇後ヒリヒリした感覚が残った。正気と狂気のバランスが良く、特に狂気が大げさで嘘っぽいところが、この戯曲の誇張した主張をうまく表現していたんだと思う。彼らの芝居を見ていると、戯曲は役者の声で読まれてこそ戯曲として完成するものなのだと感じさえした。声に出し紙から浮き立った時にこそ、頭でっかちだった言葉が命を得て動き出すというような。

詩人の神永圭佑くんは「朗読劇」に忠実で、客席を見つめるほかは常に台本を凝視していた。ある時は哲学書を読むように、ある時は父の顔を睨みつけるように、またある時は兄を求めるように、彼を正面にした観客はその姿を目撃することになる。神永くんの詩人はどこまでも純粋無垢だった。詩人の狂気にしても、子供がごねる様子に見えたり、出会い頭の恋に落ちる瞬間の表情をしたり、見ているうちにとても愛おしく感じてくる。対する古谷大和くんの兄は、理性と本能の狭間で生きていた。そして、かつては憧れを抱かれていた神永くんの詩人の真っ直ぐな純粋さに、逆に羨望の目を向けはじめているように感じた。その関係性から、兄弟が共依存に陥っていく姿を目の当たりにしてしまったという恐ろしさがあった。永島敬三さんの父はどこまでも現実を生きていた。疲労を感じさせる投げやりな言動。教育的になれない哀しさ。今まで息子たちから目を背けていたツケを払っているとでも言いたげな目がとても良い。Aチームが「地獄」だと思うのは、この三人はこれからもっと苦しむのだろうなと感じたからだろうな。しかも、仕方がないというのではなくて、望んで地獄に堕ちていっている。それを支える淡々とした髙橋里恩くんのト書きは、感情的でないことが効果的に効いていた。

Bチーム

確かに笑える。当時は観客が大笑いして観ていたらしいからこの空気感がその頃に近いのかもしれない。滑稽さの再現度が高いとでも言うのか。この時代のリアルに対して温度感が高かった。それが喜劇に見える理由かもしれない。皆生きた人間なんだと感じる演技。Aチームが観客が向こうの時代にタイムスリップしているのだとしたら、Bチームは役者と舞台がこちらの時代に来た感じ。

多和田秀弥くんの詩人はとにかく狂っていて、観客も含めた皆が距離を置きたいと感じていた気がする。「狂ってる」って直接言ったら真顔で詰められそうな力強い雰囲気。怖い。対する安里勇哉くんの兄は常に冷静で、あの手のつけられない多和田詩人を手懐けている感さえあった。内に秘めたる狂気。それがまた革命運動のリーダーっぽい。そのまま日本赤軍のリーダーになって無差別テロ起こしたりしかねないとも思った。特に印象に残っているのは、安里くんの声がハチャメチャに良いということ。声で群衆を扇動できるんじゃ。唐橋充さんの父は酒と辟易する状況に酔っ払っていた。Aに比べてBの滑稽さが際立っているのは唐橋さんの力が大きい気がする。田中穂先くんはト書きでも演じているなあと思った。彼のト書きを前にしては、そこにいない人が出現する。なんとも不思議な感覚だった。

残すは千秋楽、2公演のみ。当日券もあるそうなのでぜひに!

 

公式サイト

bokuraga.com

ゲネプロ写真

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ドラマ『男水!』が終わったので【感想】

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物語について

日テレ系ドラマ『男水!』の放送が終了しましたね。正直、物語に驚きがなさすぎてなんとも評価しにくい話でした。以前、関係のない映画のアフタートークでとある映画監督が「『チアダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』って女子高生がチアダンスで全米制覇する話でしょ?観る必要ある?」って言ってましたがまさにそれですね。「男子高校生が水泳する話でしょ?観る必要ある?」って言われたら、「ハイユーを青田買いして!」って言うほかなくて悲しい。せっかくお金をかけるなら「どこまでいっても普通」より、「奇をてらう」ぐらいに意外性のある話であって欲しいです。どうせなら、彼女(出演はなくても可)とのゲスい話をする高校生を見せてよ。だってここ最近のドラマで安牌にして成功したものなくないですか?それと、スポ根系の作品って日本人の悪いところが凝縮しているから苦手なんですよね。努力している人を描きたいし、努力は報われなきゃと思う日本人のソレ。三御堂島ひよりちゃん*1の姿を見てほしい。恋に勉強に部活に頑張ってるのにあんなことになっちゃうんですよ。年一で会いたいです。

キャストについて

それは置いておいて、予定調和でもなんとか乗り切れたのはやっぱり役者を見ていたからです。もともと、全く知らない俳優は居ませんでしたが、詳しかったわけではないのでこちらの方のエントリを参考にしていました。

obsidiantan.hatenablog.com

それとドラマを経た各人の印象などをつらつらと。自己満ですし、メインどころは割りとからいことを書いている。

松田凌(主役:榊秀平)

ほかに比べると、もともと能動的に情報収集していた俳優なので、始まってすぐ役者個人のタイプと役のタイプがあんまり合わないなと感じました。それは今でも思ってますし、もったいないとも思います。彼が主役に選ばれたのは「芝居への熱さ」みたいなものがかわれたからだと思ってるんですが、そういうものを表現しにくいキャラクターだったかなと。秀平にも秘めたる熱はあると思うんですよ。 でもそれって、現代人のレベルなんですよね。松田凌の熱って、泥臭くてともすれば昭和の男の堅さみたいなものなので、なんかその周波の違い的な。彼にトリッキーな役が多いのは、「いたって普通」な人間とは真逆にいるからなのだと感じました。『男水!』がなかったらここまで感じてないですね。良い気づきです。舞台ではもう少しドラマよりは部員同士強固な絆で結ばれたあとの話になっていると思うので、もっと周りに甘えても良いと思います。単純に私がそんな松田凌を見たいって話なんですけど。

宮崎秋人(篠塚大樹)

良くも悪くも彼がワタナベエンターテインメントの俳優だから知っていたところから、『柔道少年』を経て「なんであんなに自分を出さないのかな」と思っていたところで『男水!』の大樹。はじめは全く自己主張のない役でした。ナチュラルであることが宮崎秋人の魅力であると同時に、特徴が掴みにくい。役に似てないって言われることが多いかもしれませんが、私はとても似ているなと思いました。そして、その乗り越え方も。なんでもできちゃう人は弱点を魅力にすることができないので大変だなって思います。良くも悪くも、妥協点が持てることは個性をつくる上で大切です。『柔道少年*2』で見えた人間の汚い感情や、葛藤の表現、優越を感じた瞬間の浅ましさなんかを大樹としても見れたら良いなと思います。

安西慎太郎(藤川礼央

ほとんど『男水!』で初めて演技を見たんだと思います。まず礼央って秀平と大樹に一杯食わされてぼっちになっちゃうという可哀想な役回りですけど、人生計画的には順風満帆。でも、結局同じ種目の大樹が邪魔してきてというやっぱり可哀想な役回り。二人に振り回されっぱなし。もういい加減龍峰高校のメンバーと仲良くやることだけを考えなよって女子マネージャーとして言ってあげたい(※龍峰高校は男子校)。演じてる安西くんのことを言えば、その敏感で不安定な高校生の揺れる心持ちを上手く表現していたように思います。特に最終回のメダル見た瞬間ね。思わずウルっときちゃった。これからもあんまり東ヶ丘高校のメンツとは馴れ合わずにいてほしいですね。できれば、川崎さんにだけしか挨拶しないくらいの根に持つ感じで。

赤澤燈(小金井晴美)

はるみちゃん本当にいてくれてありがとうだった。秀平への固執が結構な感じなのにそれに一切触れない秀平との関係性とかすごく楽しい。世界広がる。新宿二丁目のファミレスでバイトしてた時に、そこら辺で働いている人の間でファンクラブができていただけある。さすが。というのは冗談ですが、私は一番最初に彼を観たのが多分『回転する夜』でそれから『メサイア』とか『Please Please Please』なので、シリアスな演技をする役者のイメージだったんですよ。でもそれとはるみちゃんの柔らかさが間逆なので、ズキューン!ってきました。体育館裏で秀平に告白するところを見守っていたいです。

佐藤永典(滝結太)

舞台メインでやってる役者が多い中で、私にとって彼は映像の人でした。なので期待通り。せっかく宛書してくれたのだからもっと毒舌なのかなと思ったけど、そうでもありませんでした。ものすごい自分に自信があるとか、キャラかぶりしてるけどナルシストとか、そうでもなかったらあれだけ人がいればどうしても印象が薄くなってしまうので個人的には残念かな。先輩を先輩と思っていないような振る舞いでも面白いと思う。

小澤廉(平光希)

彼のことは名前だけ。友人が接触で踏まれたことがあると自慢していたので覚えています。先に引用したエントリで「どこにいても何をしてても主人公になっちゃう」とありましたがワカル。っていうか、光希サイコーな役じゃありません???昼ドラとか韓国のドラマで主人公の敵の女を演じる女優がメチャクチャ輝いてるみたいな。しかも、あざとさを残しつつ、完全には嫌われない。サイコーな役じゃありません???これ以外で役者しているところ見たことがないので、機会があればぜひにという感じ。でも、劇団シャイニング*3はハードルが高いです。

黒羽麻璃央(仁科譽)

仁科部長~~~~~~~~!!!大会がない期間の限定彼女でもいいから19番目の女にして~~~~~~~~!!!って感じでした。フラットな包容感と、滝に対する優しい牽制。「お?やるか?」とはならないけどあとでよくよく考えてムカつくなってことをサラッと笑顔で言うからもうすごく好き。Hulu*4で配信中のプールサイドで女子大学生「ガキ」って理由で振られるまで含めて好き。例えそれが川崎さんの策略であったとしてもまとめて好き。川崎さんとの距離感が好き。家には行ったことありそう。無理ガチ恋。元々は2次元だったくせに、3次元にまで侵食してきて私を揺るがす「仁科譽」恐るべし。

池岡亮介(神宮一虎)

この中ではいけぴのことを一番観てきているはず。それなのにこの一虎のようなキャラクターに今まで一度も出会ってなくて、さらにメチャクチャ良かった。センスある突飛なことをたまに言ういけぴ。D2の中では個性がなくて悩んだといういけぴ。それは結局「D2のキャラが濃すぎるんだ」ということで納得したいけぴ。そんないけぴの一虎先輩本当に馬鹿で愛せる。しかもその馬鹿さが、男子高校生のしょうもない感じではなく、またベクトルのずれた、いまどきこんな精錬な子もいないんじゃないかというようなキャラクターで、ひとついけぴの代表キャラにあげ続けてほしいですね。最終回で一虎先輩がリュックを前に回して背負ってるのを見た時に、「ホントマジ好き」って思いました。お兄ちゃんになってください。この一人っ子に「もうお兄ちゃんそういうことしないでよ恥ずかしいから~~~」って言わせてください。

神永圭佑(原田ダニエル)

『男水!』前までに観たことがあったのは『美女と魔物のバッティングセンター*5』だけかな。そして「私的・気になる俳優ランキング」の順位をグングン上げる俳優さんになりました。あのキャラクターだからか、とても自由に演じていたのが良くて。ハーフじゃないのにハーフ薬を演じるとかいうむちゃぶりも感じさせないダニエル度。ナルシストっていうより一虎先輩よりの馬鹿だけどご愛嬌♡背泳ぎがんばってね!(贔屓)

廣瀬智紀(川崎亮也)

ちゃんともが本当はどんな人なのかわかった上でも川崎さんはなんかちょっとヒヤヒヤした。いや、普通にしてれば革ジャンの似合うイケイケ兄ちゃんなんだけど、ちゃんともじゃん???いつ「冗談だよ〜〜〜!」ってネタバラシするのかなってそんなことが気になったりならなかったり。だいたい真面目に生徒のレース見てないけど、インハイ予選を物陰から見守るコーチなんています?あと、秀平くんのこと熱い眼差しで見つめすぎな!好きなの分かるけどイエローカードだよ。そもそもなんで出身校でもない東ヶ丘高校のコーチやってるんだっけ?そういうところがちゃんともっぽいなと思いました。舞台ではアドリブも入ってくることが予想されますが、ずっと川崎さんでいられるか心配です。

終わりに

ドラマとしてはいったん終わって次は舞台です。日テレのメディアミックスの考えでいくと、映画化だったところの舞台化。舞台のあとに映画っていうのもあるかなと思う。でもこのまま予定調和では良くないよ。

high-low.jp

●ドラマや映画の他、2.5 次元舞台でも広く活躍している、廣瀬智紀、松田凌。

とか言っていたら、ニュースでHiGH & LOW新作映画の出演者が発表されてました。めでたく松田凌と廣瀬智紀の2人がホワイトラスカルズとして出演決定ということで、これも同じ日テレのご縁かなと思う。いいよLDHには縁故が大事だから。こういうのは甘んじて受け入れつつ、舞台『男水!』も含めて、皆さん今後の活躍が期待されます。(了)

映画 『哭声/コクソン』

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STORY

平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男につい ての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った 眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く。ジョングは娘を救うためによそ者を追い詰めていくが、そのことで村は混乱の渦となっていき、誰も想像できない結末へと走り出す――

哭声 コクソン(2016)の映画レビュー(感想・評価)・あらすじ・キャスト | Filmarks

REVIEW

感想をはやく書こう書こうと思って一週間経ってしまいました。文字で読むよりとにかく観て〜〜!って感じなんですけど、観るためにも誰かのレコメンドがあって良いかなと思うので筆を執りました。嘘です、ただの壁打ちです。

いろんなところで「マッドマックスみたい」と言われていますが、ハイローのようにリアルに車両が出てくるわけでなく、物語を超えて伝わるものがやっぱり「すごい」としか言いようがない、それが『マッドマックス』という感じですかね。いや、正直なところマジカルパワ〜〜〜で突き通してるので、ずるいって言えばメチャクチャずるい。でもなんかそんなんどうでもよくない?呪いだし、悪魔だし、鬼神(きしん)のせいだよね。でもさ、それなのにすごくパワーで押し切るやん。ある種神様のくせにそんなに疲労する???って突っ込みたくなる。いや、突っ込んでいいんだよ。笑える。ハチャメチャに笑える。

日本で話題になったのは國村隼さんがかなり重要な役で出てるからだと思うんですけど、なんでこんな役引き受けたんやろか。一応日本人として出てくるので、平面的にみたら韓国🇰🇷に侵入する日本🇯🇵の構図になってて、いろいろ面倒くさそう〜〜〜と思うけど、でも観てみると割とそんなのどうでもいいやってなる。どっちかっていうと、韓国人の信心(キリスト教VS土着の宗教)が問い直されている?って感じで意味不明なの。まぁこの説明で分からなくて良いです。いや〜〜ファンジョンミン。ファンジョンミン。ファンジョンミン。三回言うくらい良い。僅かに描写バレするけど、鼻と口からブシャーーーー!ってなるところメッチャ笑えたのにみんな笑ってないの。私が可笑しいみたいじゃん。面白いのに。ファンジョンミン好き。

閑話休題。これは余談だけど、観終わって何かに例えるなら三池崇史の『探偵物語*1』かなって思った。松田優作薬師丸ひろ子じゃないやつ。主演が中山一也っていうだけで、一定数の人を突き放してるあの作品。あまりにも非現実なグロテスクが続くと途中から面白くなってくる感覚が非常に近いですね。久しぶりに観たくなってきた。そういうの作ろう三池崇史

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朗読劇への期待値

これ単純に気になるんです。そんな私は今までそれっぽくないのを2本、それっぽいのを1本、計3本観てきました。

aooaao.hatenablog.com

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全 部 面 白 か っ た

これは雑感なんですけど、それ(朗読劇)っぽくないのは完全に動きがあって感情を動作で表し、ときにアドリブっぽい即興性を感じられたから。一方のそれっぽいものは、椅子に横並びで座ってお互い顔を突き合わせることなく、予め決められたものを遂行していく作り方。個人的な意見としては、わざわざ朗読劇でやるからには、後者の静謐な空気感や、物語の伝え方を求めてるんだろうなと思っています。じゃあ、なんでそれっぽくないものもあるのかというと、朗読劇の可能性を拡げるためとか、少ない動きとセットでどれほど伝えられるのかということを追求するためとか、逆にあまりに壮大な世界観で物理的に表現することが困難だからとか、たかが観劇するだけの人間には想像しかできない、それはそれはいろいろな理由があるはず。ちなみに、「朗読劇」でググったらこんな風に書かれていました。

朗読劇
読み方:ろうどくげき
別表記:リーダーズシアター

役者が台詞を暗記するのではなく、台本を持って音読するスタイルで上演される劇。主に声による劇的演出によって観客にイメージを伝える。

朗読劇とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

shibainomachi.com

上記の記事で、「一般的に、朗読劇は「声優」により上演されることが多いです。マイク前で台本を持ちながら芝居をする声優が、実際にお客様の前、舞台上に立って芝居をするので、声優の勉強をしている役者さんには馴染みがあるでしょう」とあるように、声優が朗読劇を行う場合と、俳優が朗読劇を行う場合ではアプローチの仕方も、その難しさを感じる部分も違う。でも一観客の私が「朗読劇」に対して個人的に強く感じるのは「朗読劇だと準備期間が短くなりがち」ってことなんですよ。役者さんはみんなお忙しいですし、フィジカルを酷使するものよりは確かに鍛える部分も少ないかもしれませんが、なんだかその暗黙のルールが少なからず観客の作品への期待値にも繋がっている気がしてならない。そしてその期待値のまま、「朗読劇だから」が原因で観ない人がいるとか、作ってる方のモチベーションが変わったりするのかなと思うとなんだかちょっぴり悲しい。

閑話休題

こんなアンケートがあったけど、劇場施設の環境に限らず、「朗読劇で◯◯◯円以上は…」と考える人もいるだろうと思う。「どんなところでだって、どんな作品だって、いくら出しても良い席で全通するんだよ」ってオタクが言っても、それは完全に一部の話。私が勝手に立ち上げたこの「朗読劇問題」に対して、なにか鈍器のようなもので世の中が殴られるようなことがないと、その意識はなかなか変わらないと考えている。簡単に言うと、上演した結果「ストレートプレイで観たかった」と言わせないようなものでないと意味がないと思うのです。

そんなところで、3月16日からスタートする『ぼくらが非情の大河をくだる時』に少なからず、いや多大に期待している者としては、世間の期待値が自分のそれと合っていないと、居心地の悪さを感じまくりです。これに関しては代替公演*1ということもあっていろんな事情があるんだろうけど、なにより中屋敷さんはパルコ劇場付の演出家っぽくなってきたなと。結局、あまり席が埋まってない公演に行くのが好きじゃないので、どうにかならないかなと思っている次第。中屋敷さんの朗読劇だったら絶対面白いに違いないし、『朝彦と夜彦1987*2』という前例もある。ただ、前述の理由よりリーディングドラマとしてはキャパが広い(368人)と思う。そして作品自体が渋い。個人的には棺桶や便器はどうなるの*3!!!という気持ち。そういう探り探りな要素が多いことが、いまいちお客さんの期待値を引っ張っていけない理由だと思うんです。

この「朗読劇への期待値」に関する考察にもならないまとまらない考えは、総て私の変な思い込みであってくれと願っています。まぁ知らんがなって話でした。

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舞台『K.テンペスト2017』

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作品情報

串田版シェイクスピア幻想音楽劇  記憶の嵐が巻き起こる

これは海で溺死したものたちの遥かな夢である。

海底に漂ったものたちの、懺悔に近い想いである。

砂となって海辺にうち上げられ、また引いていった骨のかけらたちの、悔恨と願いである。

われわれは、たとえ無自覚であっても、何万億の死者たちの聞こえない声に包まれている。

そして遠い未来の、ほとんど宇宙そのもののような命の根源の聞こえない声に導かれている。と、今この瞬間にしか生きていると自覚できないわれわれは、ぼんやり想う。

そして、音楽が生まれ、物語が生まれ、演劇が生まれる。

400年前のイングランドでも、そして現在でも。

K.テンペスト2017|KAAT 神奈川芸術劇場

REVIEW

私はウィリアム・シェイクスピアについて何も知らない。そのくせ「知っている」と言えるまでの道のりが途方もなく遠く思えて、一歩踏み出すことさえ尻込みをしている。なにより取っ付きにくい。もちろん戯曲を読む気合いもない。だからただただ不安だった。原作も読まず、あらすじもろくに知らず彼の世界に参加できるだろうかと。でもそんなのは杞憂だった。これはあまりに純粋な演劇体験。最後の拍手の意味まで想像された物語。音楽や照明は過不足なく、もちろん台詞にも無駄がない。全身で全部楽しんで気づいたら終わっている。すごい。そして演劇は決して高級な遊びではないと改めて思った。どこまでも人々に寄り添っていた。アナログなのに洗練されている。本当にすごい。

そして玉置玲央のその姿。贔屓目で言って彼の強靭な身体は輝いていた。あれを自分のものとして機能させたいと心から望んだ。上演中だけは成り代わって体験している気分になれた。つくづく自分は今まで俳優を観に舞台に通ってたんだなと自覚した。それが良いのか悪いのか誰に判断されることでもないけれど、少なくともこうして素晴らしい作品と出会うことができたのだ。しばらくはこのままでいたいと思う。

オフィスコットーネプロデュース『The Dark』

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STORY

ー三つの家族、ある一夜の不思議な物語ー

舞台はイギリスの典型的なテラスハウス
同じ間取りの三軒の家に、三つの家族が生活している。
それぞれの家族には秘密があり、ある日突然
訪れた「闇」を境に、それは徐々に明るみに出る。
家族だからこそ、近しい相手だからこそ、正直に話せなかった想い。
「The DARK(闇)」の中で少しずつ自分をさらけ出していく
家族の、崩壊と再生の物語。

オフィスコットーネプロデュース『The Dark』 | 吉祥寺シアター

REVIEW

正直言うと「面白かった」というような楽天的な感想は持てなかった。それはこの作品が陰鬱だからとか、残酷だからということではない。なんだか、噛み合っているようで、出し抜かれているような感覚が気持ち悪くて仕方なかったから。思考停止しそうだったくらいだ。先に書いておくが、これがもしその感想まで計算して作っているのだとしたら流石だと思う。

三つの家族、それぞれが抱える闇。それが停電の「闇」により明らかになる。暗闇の中で明らかになる。その引き金となる自閉症気味の男の子。この子にもう少し感情移入できればもっと楽しめたのかも知れないけれど、なんだかちょっと中二病が過ぎる台詞でそれがうまくいかない。状況を打開する存在としてどうしても弱い。それなら暴徒が家を間違えて各家を襲って、その流れで奥さんは不倫して、赤ちゃんが息をしなくなったほうが面白かった。それは冗談だけど。

ただ、この物語の中に流れる「一体何が駄目だったのか」という空気感は面白い。それは、それぞれの家族に対しても、物語全体に対しても。2004年に初上演された作品。今から12年前。それにしては全体的に古臭い。いつの時代だろうと考えていたら、アメリカっぽいのラップの曲が流れてきて、更に状況がわからなくなってくる。そういうことを考慮する話じゃないのかもしれない、そうだな、と思っても家族のあり方ひとつにしても、皆何がそんなに気に食わないのか、イギリスの天気が悪いから苛立ってるのか、天気はいつものことなのに、何がこの停滞感の原因か誰にも分からない。どこで何を間違えたのか、どの人物もずっと考えている。私も分からないよ。唯一、分からないということが分かった。でも、恐怖を植え付けてる~のくだりは全然分からない。私がイギリスのリアルから遠いところにいるのか、この物語がイギリスのリアルから遠いのか、そのどちらもなのか分からない。教えて偉い人。

もし人間の生活がこれほどまでに共感しがたいものだとしたら、私はこれからどう生きていったら良いのか分からない。ここまでに何度「分からない」と書いたか分からない。音楽との相性はすごく良かったからミュージカルにしたらまた気持ちの乗り方が違ったんじゃないかなと思う。発言に全く責任は持たないけど。以前、舞台の演出の感想で「ホラーノベルゲームっぽい」っていう表現があって膝を打ったことがあるけど、今回舞台上にザーっと映像が映された時に同じこと思った。なんか異様な空気感。何か起きるんじゃないかと思って見てると確かに何かがいろんなところで起こっているんだけど、これが決定打ということはほとんど無い。なんとなく嫌な感じ。それが一番の魅力なんだろうと思った。

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