取り留めもない

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『柔道少年』は物理的にめちゃくちゃDステだった。

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judo-shonen.dstage.jp

Dステ20th『柔道少年』は韓国演劇を翻訳した作品。真っすぐでわかりやすいコメディだし、物語として考えさせるような複雑さもない。私がそういうものを好んで観ることがないから、作品のテイスト自体がとても新鮮だった。キャラクターはすべて役者本人の名前で登場し、舞台上にいないD-BOYSの名前やエピソードも次々と飛び出す。だからといってそれが話の腰を折るようなことはないが、その人たち本人を知っているとより楽しめる。これは濃度の濃いDステだなと思った。それと同時に、むしろ主役の宮崎秋人はD-BOYSとしては新しい方なのだと思い出すこととなった。

思い返せば『夕陽伝』で初めて彼はDステの舞台に立った。「D-BOYSじゃないのにDステに?」とあまり思わなかったのは他に劇団Patchの二人がいたからかもしれない。だから確か上演がスタートする直前に宮崎秋人のD-BOYS加入が発表されたときの方が驚いた。そしてそのことが、彼や彼のファンにどんな感情を与えるのだろうということの方が心配だった。私自身はそのころ彼を「ぺダステに出てる人」という風にしか思ってなかったけど、少なくともD2がD-BOYSと名乗るようになったときの複雑な気持ちはわからなくなかったから。今年になって公開されたインタビュー*1でも彼は、「(加入が決まった時に)すぐにうれしいと思えなかった」と言っている。その人物が諸々を受け入れ、それを自分の目標までの推進力にしていく過程にどんな思いがあったのか。残念ながら私にはわからないから、おおよそを邪推することしかできない。でも、普段は明るく振る舞う裏で、葛藤があったのだろうということはわかる気がする。そんな彼が、物理的にめちゃくちゃDステを感じる舞台の真ん中にいることがなんだかとても不思議で、同時に嬉しく、そしてまさしくこれが彼の「再デビュー*2」なのだなと思った。ちなみに、この点について宮崎秋人のオタクと深く語り合いたい気持ちがある。

彼の演じた柔道少年も、初めは柔道に対して意固地になっていたけれど、自分の越えなくてはいけない壁に気がついたときに、次第に物語が開けていくようなキャラクターだから、そういう意味でも彼自身に近いんじゃないかなと邪推してみたり。語弊を恐れず言えば、宮崎秋人の「普通さ」という魅力が際立つ役だった。

荒井敦史はもう見た目かっこいいが過ぎるほどなのに、中身が驚くべき程に可愛くて途中私は何回か死んだ。韓国語で女の子が男性に言う「おにいちゃん」は、血のつながりがなければ僅かでも下心のある呼び方なので、呼ばれた瞬間ニヤけるくらいで問題ないと思う。いや、そのくらいしないとかっこいいが過ぎるんだって。

ミッチェルこと三津谷亮は、自分自身のキャラクターがこの作品でどんな効果をもたらすのか理解していて、笑いの惹きつけ方と押さえ方を心得ているところがプロだな~という感じだった。いや、れっきとしたプロなんですけど。

いけぴは「ここ(下北沢)は池岡亮介の庭かな?」っていうくらいリアルな笑いを、舞台上のあらゆる場所で構築していて、観客はいつの間にか彼の手中にいるみたいな不思議な感覚になった。彼の纏っている空気感がスズナリとぴったし。

この作品は、今やってることに飽きたところからがまた面白くなりそうというか、今後いかようにもアドリブ入れられそうだし、入れてほしいと中屋敷さんも思ってるだろうから、最初の方と最後の方で観るのじゃ楽しみ方が違うはず。私自身もこれからもっとこの作品を自分のものにして、はしゃぎまわる彼らを観たいので下北沢に通い婚しま~す。

あ、三津谷さんお誕生日おめでとうね!

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追記

 イマジネーションのくだりは2/10のネタでした。