取り留めもない

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朗読劇への期待値

これ単純に気になるんです。そんな私は今までそれっぽくないのを2本、それっぽいのを1本、計3本観てきました。

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全 部 面 白 か っ た

これは雑感なんですけど、それ(朗読劇)っぽくないのは完全に動きがあって感情を動作で表し、ときにアドリブっぽい即興性を感じられたから。一方のそれっぽいものは、椅子に横並びで座ってお互い顔を突き合わせることなく、予め決められたものを遂行していく作り方。個人的な意見としては、わざわざ朗読劇でやるからには、後者の静謐な空気感や、物語の伝え方を求めてるんだろうなと思っています。じゃあ、なんでそれっぽくないものもあるのかというと、朗読劇の可能性を拡げるためとか、少ない動きとセットでどれほど伝えられるのかということを追求するためとか、逆にあまりに壮大な世界観で物理的に表現することが困難だからとか、たかが観劇するだけの人間には想像しかできない、それはそれはいろいろな理由があるはず。ちなみに、「朗読劇」でググったらこんな風に書かれていました。

朗読劇
読み方:ろうどくげき
別表記:リーダーズシアター

役者が台詞を暗記するのではなく、台本を持って音読するスタイルで上演される劇。主に声による劇的演出によって観客にイメージを伝える。

朗読劇とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

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上記の記事で、「一般的に、朗読劇は「声優」により上演されることが多いです。マイク前で台本を持ちながら芝居をする声優が、実際にお客様の前、舞台上に立って芝居をするので、声優の勉強をしている役者さんには馴染みがあるでしょう」とあるように、声優が朗読劇を行う場合と、俳優が朗読劇を行う場合ではアプローチの仕方も、その難しさを感じる部分も違う。でも一観客の私が「朗読劇」に対して個人的に強く感じるのは「朗読劇だと準備期間が短くなりがち」ってことなんですよ。役者さんはみんなお忙しいですし、フィジカルを酷使するものよりは確かに鍛える部分も少ないかもしれませんが、なんだかその暗黙のルールが少なからず観客の作品への期待値にも繋がっている気がしてならない。そしてその期待値のまま、「朗読劇だから」が原因で観ない人がいるとか、作ってる方のモチベーションが変わったりするのかなと思うとなんだかちょっぴり悲しい。

閑話休題

こんなアンケートがあったけど、劇場施設の環境に限らず、「朗読劇で◯◯◯円以上は…」と考える人もいるだろうと思う。「どんなところでだって、どんな作品だって、いくら出しても良い席で全通するんだよ」ってオタクが言っても、それは完全に一部の話。私が勝手に立ち上げたこの「朗読劇問題」に対して、なにか鈍器のようなもので世の中が殴られるようなことがないと、その意識はなかなか変わらないと考えている。簡単に言うと、上演した結果「ストレートプレイで観たかった」と言わせないようなものでないと意味がないと思うのです。

そんなところで、3月16日からスタートする『ぼくらが非情の大河をくだる時』に少なからず、いや多大に期待している者としては、世間の期待値が自分のそれと合っていないと、居心地の悪さを感じまくりです。これに関しては代替公演*1ということもあっていろんな事情があるんだろうけど、なにより中屋敷さんはパルコ劇場付の演出家っぽくなってきたなと。結局、あまり席が埋まってない公演に行くのが好きじゃないので、どうにかならないかなと思っている次第。中屋敷さんの朗読劇だったら絶対面白いに違いないし、『朝彦と夜彦1987*2』という前例もある。ただ、前述の理由よりリーディングドラマとしてはキャパが広い(368人)と思う。そして作品自体が渋い。個人的には棺桶や便器はどうなるの*3!!!という気持ち。そういう探り探りな要素が多いことが、いまいちお客さんの期待値を引っ張っていけない理由だと思うんです。

この「朗読劇への期待値」に関する考察にもならないまとまらない考えは、総て私の変な思い込みであってくれと願っています。まぁ知らんがなって話でした。

公式サイト

bokuraga.com