取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

イキウメ『人魂を届けに』

f:id:aooaao:20230521102026j:image

STORY 

人魂(ひとだま)となって、極刑を生き延びた政治犯は、

小さな箱に入れられて、独房の隅に忘れもののように置かれている。
耳を澄ますと、今もときどき小言をつぶやく。

恩赦である(捨ててこい)、と偉い人は言った。
生真面目な刑務官は、箱入りの魂を、その母親に届けることにした。

森の奥深くに住む母は言った。
この子はなにをしたんですか?

きっと素晴らしいことをしたのでしょう。
そうでなければ、魂だけが残るなんてことがあるかしら。
ところで、あなたにはお礼をしなくてはいけませんね。
母はベッドから重たそうに体を起こした。

魂のかたちについて。

イキウメWeb

REVIEW

『外の道』ぶりのイキウメ。

最初、何かを探して観てしまったんだけど、この場所は何で、この人たちは何をしていて、これからどうなるのか、というような頭の中に浮かぶ疑問の答えを簡単には見つけられない。かつ、観た人のひとりひとりの答えが自分と一致するとも限らない。現代文のテストに出たら難問中の難問って感じの話だった。

普遍的なテーマで「怪物は産まれるのか、育てられるのか」というのにも近いと思う。絶望した人々が「母」のもとで大切に愛情を持って再生していくのに、その結末が死刑だなんてどういうことなのか。これは私個人の理解だけど、一度死んだ命として社会に問題提起をする存在として再び放たれているのかなという気がした。本当にそうかな。

 

今回は藤原季節くんがイキウメの作品に、ということで注目度が高かったけど、イキウメの世界の住人であるかのように違和感なかった。た組。といえば季節くんというイメージだったけど本当に柔軟性ある役者だなあという気持ち。なんかこの作品を思い出した。

母親役の篠井英介さんもその佇まいからただならぬ存在であることを表現されてたし、劇団員の浜田さんの妻にも驚いた。ジェンダーについての話ではないし、元々そういう表現の縛りがないのが演劇だと思うのだけど、母として妻として求められている役割を果たしているという感じがしっかりあった。いずれ求められる役割という認識が薄くなると、そういう演技もなくなるのだろうか。

 

金曜のシアタートラムのイキウメ2時間は肉体的にも精神的にも疲労したけれどそれだけの価値ある時間だった。