取り留めもない

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私が選ぶ、龍宮城に演じてほしい戯曲たち【6選】

はじめに

龍宮城FCツアー「零零」に参加して、彼らの「物語を愛する」「物語を紡ぎ出す」パーソナリティと、「舞台の上で生きて死ぬ」覚悟に舞台作品との親和性を感じ、急に書き残したくなった脳内妄想の記録。私自身がよく観劇していたのは5年前くらいまでなので、そのあたりの作品が多いです。

改めて「龍宮城」とは

日本テレビ “スクール型”オーディション番組『0年0組 -アヴちゃんの教室-』から誕生した【オルタナティブ歌謡舞踊集団】。
教室での壮絶な試練の日々を乗り越えた “ヤバい奴ら”で構成された7人組。
圧倒的な存在感を放つバンド・女王蜂のヴォーカル、アヴちゃんによるプロデュースで2023年ソニー・ミュージックレーベルズよりデビュー。

龍宮城オフィシャルサイト&ファンクラブ「龍宮場」

龍宮城FCツアー「零零」の記録
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ただ、割とよく話されているだろう『TRUMP』と『メサイア』は今回除外することにしました。ストレートプレイがメインです。あと、メンバーの名前は演技仕事の漢字表記を採用します。

①淋しいマグネット

ストーリー

海沿いの小さな町を舞台に、4人の少年の9歳から29歳までの成長を追った物語。
いつしか離れ離れになっていた彼らが、10年ぶりに出会った。ぎこちない再会を軸に、子供時代の記憶や秘密が明らかになっていく。9歳、19歳、29歳の3つの場面が行き来し、そこに夢のようなおとぎ話が劇中劇として絡み合い、現実とファンタジーを織り交ぜながら予想もしない結末へと繋がっていく。

D-BOYS STAGE 10th「淋しいマグネット」


戯曲について
この作品が日本で正式に上演されたのは、俳優集団D-BOYSによる演劇ユニット公演Dステのみ。とても良い作品なのに再演がないままであまり知られてないのがとても残念。

この頃のD-BOYSは、テニミュや忍ミュのいわゆる"2.5次元俳優"のイメージとは別に、本当に真っ直ぐなストレートプレイやシェイクスピア作品などをこのDステでやることで新しい姿を模索していたように思う。私はそこ姿が好きだったし、だからこそ応援していたけれど、今はD-BOYS / Dステ自体がほとんど忘れ去られた存在になっている。

その中でも、D-BOYSの後輩グループにあたるD2がこのDステにメインで参加したのが『淋しいマグネット』で、D2を最も応援していた自分はこの作品にとても思い入れがある。

『淋しいマグネット』は観るたびにいつも違う感想が湧き上がる。そこにこの作品の無限の可能性を感じる。登場人物は9歳から29歳に成長していき、現世とファンタジーを行き来し、現実世界で起きている悲しみをファンタジーの世界で昇華していくような浄化作用を感じつつ、それでもしっかりと前を向くために悲しみに向き合う。そんなシーンが入れ替わり立ち代わり展開されていく複雑な青春群像劇で、舞台演出も魅力的。


ここがポイント
私がこの作品を龍宮城のメンバーで観たいと思ったのは、「青春群像劇」であり「舞台演出」にさまざまなアイディアを反映できそうだと感じているから。この世界観を保たせるためには、登場人物たちが抱える複雑な感情を、非現実的な演出を用いて表現する必要がある。「あり得ない」を「あり得る」に変える必要がある。その可能性が彼らにあると、私は思う。

ここからは観ている人にしかピンとこないことだけど、基本はどのメンバーにもリューベンをやってほしい。みんなのリューベンが見たい。特に佐藤海音くんと西田至くん。ゴンゾのような一見普通そうなのに胸の奥底に闇を抱えているキャラクターは竹内黎くんとか冨田侑暉くんが合いそうだなぁ。本当は全役シャッフルがいい。

②Equal

ストーリー

18世紀初頭、ヨーロッパの田舎町。
青年ニコラは肺の病を患っており、もう長い間病床に伏していた。
幼馴染の青年テオは、町の小さな診療所で新米医師として働いていた。
テオが医学を志すようになったのは、幼い頃から病弱だった親友の身を案じてのことだった。
ニコラは、そんな自分がテオの人生にとって重荷になっているのではないかと心情を吐露する。テオは苦悩するニコラのために、かつて実在しながらも失われた学問「錬金術」を蘇らせようと試みる。それは「錬金術」における主要研究とも言える「不老不死」の実現を目指すものであった。
だが、死期の迫るニコラが次第に不可解な行動を見せるようになる。
そして、テオとニコラの運命の七日間がはじまるのだった。

イコール | ワタナベエンターテインメント


戯曲について
私の『Equal』の原体験は三上、辻本、牧田、山口のバージョンなのですが、もうどこにもその映像がないのが悲しい。『TRUMP』シリーズ、舞台『刀剣乱舞』で名前が知られている末満健一さんのオリジナル作品。

ニコラとテオという役を2人の役者が交互に演じる、ということ自体に仕掛けがある物語。代わりはいないと思っていた自分という存在が揺らいでいく。自我の崩壊。


ここがポイント
そんな物語を「代わりはいるよ なんて考えられない!」と叫んでいる龍宮城がどう演じるのか、とても気になる。

「自分として生きること」がテーマのひとつだと思うので、そのあたりを掘り下げて、彼ら自身の考えを織り交ぜて演じる姿に興味がある。

これも2人組を全組み合わせでやるのがベストだけど、全通(ぜんつう)はできないので、竹内黎&米尾賢人、佐藤海音&齋木春空、米尾賢人&西田至、佐藤海音&西田至、竹内黎&伊藤圭吾、冨田侑暉&伊藤圭吾は確実に見たいです。(ない話)

今まで、ストレートプレイ、朗読劇、ミュージカル(韓国)といろんな上演形態で演じられていたので、どんな形でもいいけど、個人的にはストレートプレイがいいな。最後のシーンをどのように作っていくのかが肝なので。

③巌窟少年

ストーリー

魔女狩りの時代、迫害された魔女たちの棲み家だったとウワサされる"巌窟(がんくつ)”と呼ばれる洞窟内の住居区。そこで共同生活をすることになった"ワケあり”少年たち。彼らは衝突し、融和し、誓い、裏切り合いながら時を共にする。そして、閉ざされた青春のひと時は、穏やかに崩壊していく・・・。

劇団Patch『巌窟少年』 - 取り留めもない


戯曲について
これも『Equal』と同じ作者の末満さんのオリジナル作品。末満さんがプロデュースする形で立ち上げた劇団Patchのために作られた物語です。

巌窟という狭く暗く寂しい場所で肩を寄せ合っている少年たち。今以上に願い過ぎなければそのまま幸せに生きることができたかもしれないのに、物事は変わらずにはいられない。そんな普遍的な事実がファンタジーのような世界観で展開されていく。作者の末満さんはこれを自分にとっての『ライチ光クラブ』と言っているので、それをイメージしてもらうと良いかもしれない。

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改めて自分の感想を読み返してみて、自分がこの頃多感に生きていたんだなということに感動した。もし今この話を初めて見た状態としたら、こんなに色んな感覚を拾えるだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。

トーリはこの巌窟のリーダーであり理想をこの世界の中に投影していた。ガフはこの巌窟を最後まで信じていた。エンゾは楽園を創造し崩壊を見つめた。マシマシは巌窟に光をもたらした。ルルは世界の真理に辿り着いた。ゴンサンはたったひとつだけ守りたいものを守った。それぞれの思惑で均衡を保っていた巌窟が崩壊していく。


ここがポイント
龍宮城の皆さんはかなり素直で、他人にも優しく、それぞれにリスペクトをもち、ライバル心とは若干違うベクトルの競争心がありそうだと思っている。この『巌窟少年』のように、ともすれば依存関係のような関係性を築かなそうではあるので、逆に見てみたい。

トーリ:伊藤圭吾、ガフ:西田至、エンゾ:竹内黎、マシマシ:齋木春空、ルル:米尾賢人、ゴンサン:冨田侑暉が個人的にはピッタリです。と言っても知らんという話だと思うので、『巌窟少年』済で龍宮城のファンの方、ご意見ください。

ちなみに、私が愛した劇団Patchとはこんな人たち(でした)。
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④非情の大河をくだる時

ストーリー

舞台は都内の公衆便所。

そこは深夜、男が男を求めて集まる、なまめかしい無法地帯。

正体不明の詩人がどこからともなく現れ、便所の壁や柱を愛撫し始める。

「満開の桜の木の下には一ぱいの死体が埋っている。深夜の公衆便所の下にも一ぱいの死体が埋まっている…」

詩人はそんな妄想を信じて壁や柱を愛おしそうに愛撫する。

そこに詩人が入るために作られた、白木の棺桶を担いだ男が2人。

詩人の父と兄である。

奇行を繰り返す息子を追って、夜な夜な棺桶を担いで走り回ることに、心底疲れ果てた、父。

幻想の中にいる「強くたくましいおにいちゃん」でいるために、弟の混沌に寄り添い続けている、兄。

「にいさん、ぼくは気狂いじゃない。にいさん、ぼくを見捨てないで。にいさん……!」

詩人の叫びは、白昼夢のような真実を浮かび上がらせ、その幻想はやがて非情な現実となってゆく……

中屋敷法仁リーディングドラマ『ぼくらが非情の大河をくだる時ー新宿薔薇戦争ー』 - 取り留めもない

playtextdigitalarchive.com


戯曲について
時代背景が現代と大きく違うこともあってかなり難解に感じる戯曲。学生運動に夢を抱いていた詩人と、そんな詩人を見つめる兄と、現実を取り戻したい父。その3人のかなり詩的な台詞回しで物語が展開していく。

自分が見たのは登場人物が「詩人」「兄」「父」「ト書き」の4人で構成された朗読劇のバージョン。もうかなり内容を忘れてしまっているのだけれど、公衆便所を浮かび上がらせた舞台に散った薔薇の花びらが強く記憶に残っている。それ以外はかなりシンプルな演出。もちろん白木の棺桶なんてそこにはないのに、朗読劇という性質上、観客のイメージの中にさまざまな演出が見えてくる。

台詞の全てが露悪的な耽美さで、逆に強く男臭さを感じるほどなので、普通に演じると「嘘」になってしまう戯曲。体感してないとわからないとは思うが、あまりにも言葉がゴテゴテしていて、役者が上手ければ上手いほどコメディーに感じる。だけど、それが美しい。実際は詩人(弟)と兄の間の共依存関係を描く裏で、当時の学生運動を支持したことの責任を取ろうとしている。

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ここがポイント
私が初めて『0年0組-アヴちゃんの教室』を見た時に感じた、過剰な演出の中にある「真実」を見出す構図が、この作品との相似性としてあると思う。『非情の大河をくだる時』が非現実的な物語になってしまった今でも、あり得るのでは、と感じてしまう。言葉を尽くして全てを伝えたい、と思えば思うほど重たくなっていくというような感じ。

詩人は名の通り吐く言葉が全て詩的なので、迷いない世界を持つ至くんに真っ直ぐに演じてほしい。
元は詩人であり、弟にとっては代え難い強い存在だったけれど挫折してしまった難しい役所の兄には、「漆」という番号を与えられて努力を重ねた春空くんが合いそう。
ポケットに薔薇の種を忍ばせて、時にはさめざめと泣く情けない父を冨田くんがどう演じるのか興味がある。

3人にはこの戯曲の中で感情を爆発させてほしい。

⑤クロードと一緒に

ストーリー

1967年 カナダ・モントリオール。判事の執務室。

殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。
男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。

被害者は、少年と肉体関係があった大学生。

インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。

殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。

順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。

密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。

Being at home with Claude -クロードと一緒に-


戯曲について
続く取り調べの中で、ひとつひとつ明らかになっていく「真実」を見つめることが求められる。声を荒げ、涙を流し、唐突に心を閉ざす。観客はそんな「彼」の生の感情を受け止める必要がある。かなり疲労する戯曲ではある。

私は松田凌という役者が「彼」を演じる可能性がある限り、この物語をこれからもずっと追い続けたいと思っている。彼が演じ続ける中でも変容していっていることを感じているし、他の役者で見ても違う感情に気付かされる。

「彼」が「クロード」について語る言葉の一つ一つが宝物のように輝いていて、そこにいない存在を思い出して恍惚の表情を浮かべる「彼」が愛おしい。しかし、その不在にを思うと「彼」がこれほど楽しそうに話していることが悲しくなる。濃密な会話劇である。

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ここがポイント
「彼」「刑事」「速記者」「警護官」のたった4人しか出てこない。永遠に続く会話劇で、演じるには感情の発散の仕方がポイントになると考えると、ひとまず「彼」は全てのメンバーで見てみたい。それ以外はどうでもいいとは言わないけれど、本当に重要なのは「彼」なので。

それまで愛を知らなかった「彼」が、最も幸せとも思える出会いを経て、失うこと、傷つけられることの恐怖に怯えていく。全部本当なのに、あまりにも突飛で、はじめは誰も信じてくれない。言葉を重ねれば重ねるほど溺れるように潜っていく。

例えばイメージソングを考えたとして、直接的なテーマとしては『BOYFRIEND』が近いのだけど、「彼」が築いてきた関係性や根本的なつながりのイメージが『DEEP WAVE』だなぁと思ったりしている。

ねぇ BOYFRIEND
やさしくしないでよ
ぼくらはここまで惹かれあっていたから
ねぇ BOYFRIEND
泣きたくないきみの前ではMY BOYFRIEND


BOYFRIEND / 龍宮城

I'm going DEEP
もっと奥深くへ
辿り着くやがて
漂うまま僕らは満たし合って
ちょっと遠くなるね
でもどこか近くで
彷徨うから僕らは巡り合って


DEEP WAVE / 龍宮城

「パンケーキみたいにひっくり返った」という台詞を吐かせるにはみんなまだ少し早い気もするので、その時が来たらなのだと思うけど。

⑥春のめざめ

ストーリー

ドイツの中等教育機関で学ぶ優等生のメルヒオール、友人で劣等生のモーリッツ、幼馴染のヴェントラ。ある日の帰り道、メルヒオールはモーリッツに『子供の作り方』を図解で説明すると約束する。成績のさえなかったモーリッツは、学校での過度な競争にたえられず米国への出奔を企てるものの果たせず、将来を悲観して自殺する。一方、メルヒオールは半ば強姦のようにヴェントラと関係し、ヴェントラを妊娠させてしまう。自殺したモーリッツの遺品からはメルヒオールのメモが見つかり、ヴェントラとの事も発覚。自殺の原因とされたメルヒオールは親に感化院に入れられてしまい・・・。

「春のめざめ」|KAAT 神奈川芸術劇場


戯曲について
まだ何も知らない子供達が「モラル」を手に入れるために、自分たちの「欲求」に向かい合いもがき苦しむ。彼らの周りにいる大人たちはあまりにも滑稽で、これから彼らもそうなっていくんだと思うと絶望せざるを得ない。

正しくない行動がそれはそれとして提示される。苦しみ迷う姿が幻想的に映し出される。その全てを「経験」と言ってしまえば簡単だけれど、確かにその間には生と死があり、両手(もろて)を上げて良かったね、とは言えない。そんな苦々しさが残る。

どうにかなった主人公のメルヒオールよりも、モーリッツの素直さが報われなかったことをどうしても思い出してしまい、とても「楽しかった」とは言えない作品である。


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ここがポイント
【音楽】降谷建志、【構成・演出】白井 晃の組み合わせがとても印象的だった。特に、音楽はアンビエントな雰囲気を舞台上に作っていて、白井さんの演出を際立たせていた。音楽劇ではないけれど、魅力的な音楽効果で世界観を作り上げていたので、音楽的センスがある龍宮城の面々が創造する『春のめざめ』が観てみたい。

何も関係はないと思うけれど、メルヒオールには『秘密を持った少年たち』の玲矢を感じるところがあるので、佐藤海音で、モーリッツは米尾賢人くんかな。この2つの役の組み合わせでいろいろ考えられそう。浅はかな間違いを犯さなそうな竹内黎くんのような子がメルヒオールでもいいよなぁ、と思ったりする。

あと単純にKAATで龍宮城見たい。

終わりに

読まれる文章を目指したのに、長くなってしまったことを後悔しています。でも、今こうやって書いておかないと忘れてしまうので記録できてよかった。

一度きりの人生で
何度もの人生を作ってみせる


FCライブツアー「零零」KENTくんポエムパートより

どこかでまたみんなで板の上に立つ時、その時は必ずその姿を目に焼き付けたいと思う。