取り留めもない

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映画『怪物』

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STORY 

息子を愛するシングルマザーや生徒思いの教師、元気な子供たちなどが暮らす、大きな湖のある郊外の町。どこにでもあるような子供同士のけんかが、互いの主張の食い違いから周囲を巻き込み、メディアで取り上げられる。そしてある嵐の朝、子供たちが突然姿を消してしまう。

怪物 の映画情報 - Yahoo!映画

REVIEW

大人たちのことは正直どうでもいい。

私は、世の中の多くの人たちが"普通"に結婚して、"普通"に子供を作って、"普通"に子供を育てることを当たり前としていることが不思議でならないので、それが上手くいっていないことは当然だろうと思う。親や教育者になると決めたら相当の覚悟があるのだろけど、子供という未知の生命体を請け負うには人間は危うすぎる。だから、私はその責任から逃れたいと心から願っている。

話を戻して、『怪物』で見つめるべきはやっぱり麦野湊(黒川想矢*1)と星川依里(柊木陽太)だと思う。この二人の関係がどういったものなのか、というのは言語化する必要はない。そんなことより、それぞれの苦悩や心情をしっかりと見て感じることが大事だと思う。関係性や意味合いについて答えた監督のインタビューに何か言うことは本来的には意味がない。

二人のどちらが加害者で被害者なのかと追って見るのが映画的な見方なんだと思うけど、ポスターや予告を見たらそういう加害者と被害者の関係じゃないということはなんとなく分かってしまう。それにクィア・パルムだ。知りたくない情報だった。まあそれはいい。

依里はとても物分かりがいい子供で、自分に起きていることはじっと耐えれば過ぎていくと考えていたように思う。自分のことばかり考えている大人たちよりは何倍も大人だ。そんな彼だけだったら親や同級生に虐められていてもなんとかやり過ごしていたんだと思う。だけど、そこに現れてしまったのが湊で、彼を守るためには自分を守るための殻を割って出ていかなくてはいけなかった。私からしたらそんな対象に出会えたことが奇跡だと思うし、完全に理解されないにしても二人で支え合っていってほしかったと思う。だから、たとえ一瞬だったとしても、その時間が二人にあったことは心から良かったと思う。けれどやっぱり、大人たちの思惑の部分(パート)なんてどうでもいいと思ったし、端折ってほしいと感じたところは多かった。この作品は大人に苦しめられる子供を描くよりは、子供たちが個人として自分の在り方や大切なものを見つける物語だと思うから。

最後が救いなのか終焉なのかで言うと、私は後者だと感じた。もう二人は大人たちが見つけられないところに行ってしまったのだと、何かに嵌められ生きることから自由になったのだとそう思う。嗚呼、とても悲しい。それが私の感想です。

 

余談だけど、鑑賞後感が宮崎あおい主演の『害虫』を観た時の気持ちと似ていた。

とても危うい魂の拠り所の話。


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*1:あまりにも良かったので事務所を調べたら舘プロだったので少し動揺した。黒川 想矢 - TACHI PRO,INC. | 舘プロ オフィシャルサイト