取り留めもない

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舞台『ダブル」

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STORY

天性の魅力で徐々に役者としての才能を開花させていく宝田多家良と、その才能に焦がれながらも彼を支える鴨島友仁。互いに「世界一の役者」を目指すライバルでありながらも、どうしようもなく惹かれあう二人の関係を繊細かつ大胆に描く。

舞台『ダブル』 | Nelke Planning / ネルケプランニング

REVIEW

私自身の経験としては初めてはっきりと「思ってたのと違うな」と感じた。それは良くも悪くもあったというのが本音。

良い点でいうと、やっぱり(鴨島友仁を演じた)玉置玲央という役者は素晴らしいなと思ったし、原作にはほぼいないと言ってもいい役で狂言回しとして舞台を飛び回る永島敬三という役者には惚れ惚れした。演じることで素晴らしいものを魅せてくれたことを考えれば原作の『ダブル』で表現していることを体現していたと思う。

一方で、今回私が観たものは一度自分の中で綺麗に出来上がってしまった『ダブル』ではなかった。つくづく思ったのは役者の力量と作品の良さは比例しないということと、役者の力量によって物語の意味が変わるんだなということ。私は玉置玲央という役者が好きで、こうして鴨島友仁というキャラクターとして演じることも願っていたはずなのに、漫画で感じていた友仁という人物の「努力しても叶わないどうしようもなさ」が舞台に立っていた人物からは感じられず、ただ友仁が完璧な多家良の保護者として存在しているような気持ちになってしまった。「演じる」ということがテーマにあるからこそ、鴨島友仁が「演じる」ことの上手い役者では私にとっては駄目だったのかもしれない。だって私にとって、玉置玲央という役者はひとつの「完璧」だったのだから。それが天才の前に屈するなんて納得できなかった。

天才の前になす術もなく総てを奪われる。自分自身でさえも。

それが鴨島友仁である。なのに、私が見た友仁は湿っぽく強く色気を放って、逆にまるで総てを奪い去る野分のようにそこに存在していた。それがなんとも違和感。むしろ友仁は多家良以外の人間にとっては魅力的である必要はないのに。むずかしい。

また、和田雅成さんが演じている宝田多家良は演じること以外は何もできない人間。なのに、和田さんの多家良は私には魅力的過ぎました。彼なら周りの優しさにつけ込んで、奪ったり、踏み込んだりしていることに自然と罪悪感を感じそう。好青年感が抜けきれないというような感じ。これまたなんとも違和感。

ここまで書いたような主役2人のチグハグ感がどうしても私の中からついに消えませんでした。まあ結局のところ、これらは役者が問題というよりも、私の作品へのイメージが鮮明過ぎたことが問題なんだと思う。多分。

ついでながらに私の思い込みを書くけれど、少なくとも『ダブル』は演劇の話で、今回も演劇の話が物語の軸になると思っていた。演劇を通して彼らを知るというようなそんな感じ。だけどその妄想に比べて実際の脚本では日常的な部分にかなり時間を割いていた気がする。それはあくまで物語を成立させるためだと思うけど、それにしては素直に長い。

そしてこれは結構言いたいことで、「ダブル」という言葉が「ダブルキャスト」という意味にしか感じられなかったことももったいないと思った。完結していない漫画4冊分を描くために漫画前半部分はかなり巻かれたから仕方がなかったかもしれないけど、友仁と多家良は2人で1つの役者だった(けど変わってしまう)ことがこの物語にとって大事で、そこにダブルがかかってると思っていたのになんでなくしたのか。そこは端折ってほしくなかったな。*1

ここまで書いたマイナスの感想は全て、私が漫画を読んでいて「そう」だと思っていたイメージと違っていた、というだけなので舞台のために再構築された世界観がまずいということではないと思う。でもひとつ言いたいのは原作を読んでない人には読んでほしいということ。そこに存在する宝田多家良という男のずる賢さ、鴨島友仁という男のどうしようもなさ、そのどちらも「嫌だ」「美しくない」と思うかもしれないけれど、そこが2人の本当の魅力だと感じるはず。

 

*1:ちなみに漫画原作のあらすじには「ふたりでひとつの俳優」というワードが書かれている。ダブル - 野田彩子 / 第一幕 お気に召すまま | コミプレ|ヒーローズ編集部が運営する無料マンガサイト