取り留めもない

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舞台『MOJO』

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STORY

ロックンロール・カルチャー全盛の1950年代後半。ロンドンのアトランティック・クラブでは、17歳のスター歌手シルバー・ジョニーの人気に火がつき、その利権を巡って地元のギャングとクラブオーナーの間でキナ臭い空気が漂っていた。そんな不穏な気配はいざ知らず、クラブの下働きの連中はくだらない世間話に花を咲かせては飲み明かす毎日。そんなある夏の日、事件が起こる。
クラブの面々はひどく動揺するが、オーナーの息子ベイビーは奇妙なほど冷静だった。不信と欺瞞が渦巻く中、運命の夜が訪れる──。

「MOJO」 | Nelke Planning / ネルケプランニング

REVIEW

主演の先行で早々にチケットを取ったけど、もっと取ればよかったなと思った。ネルケだしなとか考えた自分が憎い。品川プリンスホテル クラブeXという円形ステージの劇場もあのクラブの世界観と合っていて、和田さん手がけた音楽が大きくなっていよいよ物語が始まるという時のあの高揚感を久しぶりに感じた。きらめく世界の中でロックンロールやビュイックというアメリカのものを愛するロンドンの若者たち。そんな姿に若干の違和感を感じながら見た世界もまた不思議な世界だった。

物語について

虚像が実体を持つ瞬間の美しさ

ベイビー(TAKAHIRO)は奇妙なほど冷静だった、とあらすじにも書かれているが、私の目の前でオーナーの死のニュースを聞いたベイビーは至極ホッと安心したように見えた。それは何故か?ひとえにこの狭く小さな世界の終わりを感じたからだと思っている。ベイビーは父親であるオーナーに、普通の父親が子供に向ける愛情とは少し異なる感情をもって、「愛されて」いた。そしてそのことはクラブで働くものは誰もが知っていて、彼等はそんなベイビーを憐れむとともに、蔑んでいた。そんな彼等だってオーナーに雇われていた身。狭い人間関係の中で、当然のように起こることに対する好悪が鈍くなっていた。単純に同じ穴の狢なのだろう。そしてそれらの個が集まってベイビーのような歪んだ人物を作り上げてきたのだ。ベイビーは周りを映し出す鏡であり、それが映し出した虚像だった。ジョニーのシルバージャケットをベイビーが羽織った時、まるで元々彼のものだったかのように感じた。本当であれば彼の役割はシルバー・ジョニー(横田龍儀)に取って代わられるはずだった。その一瞬が悪しき繋がりを露わにしていた。けれど、オーナーの突然の死を聞いた時、ベイビーはそのスパイラルがここで終わるかもしれないと感じ取った。そのために彼ができることを、やるべきことをやった。そうしてやり終えた時、ベイビーは虚像ではなく実体を持った人間になった。光のまやかしだった彼が光に向かって歩いて行く姿はとても美しかった。

死んだ牛と哀しいベイビー

ベイビーの哀しさはどこにあるのだろう。あの親を持ったこと?真の仲間と呼べるような人がいなかったこと?誰も彼を助け出そうとしなかったこと?どれも正解かも知れないが、その中でも私は彼に「生きる理由がなかったこと」が重要だと思った。中でも父親であるオーナーにドライブに連れて行かれた時の話が印象深い。あの時、ベイビーは父親に殺される覚悟をした。でも実際はそうはならず、父親が殺したのは野にいる牛だった。牛が男根の象徴で、父親がベイビーのそれを殺した(奪った)と考えると、初めてその行為を目にした時にベイビーは死んだのかもしれない。それからのベイビーには生きたいという熱烈な欲望も、死にたいという深い悲しみもなかったのだと思う。

小さな王国の崩壊

ミッキー(波岡一喜)はきっとオーナーに成り代わるはずだった。そうしてかつてのオーナーがそうしてきたように男たちを自然と抑圧し、小さなコミュニティを作って生きていく。そうなるはずだった。でも、ベイビーがそれを拒んだ。今まで蔑んでいたベイビーが彼の計画を台無しにした。しかも、ミッキーは特別なスキニー(味方良介)も一緒に失った。オーナーを慕うシドニー(尾上寛之)、スイーツ(木村了)、スキニーがミッキーに愛されようとする時、そこには打算が介在する。みんな次の王様を自然と予想していた。けれど、その王国も呆気なくに崩壊した。ひとときの裸の王様だったかのように。

ベイビーを「愛した」スキニー

スキニーは「将来子供がほしい」と言いながら、生きていくためにミッキーと関係することを選んでいるにも関わらず、子供の頃にオーナーに悪戯されていたベイビーを時折酷く罵っていた。と同時に、自由に生きているように見えるベイビーに憧れた。そんなスキニーはベイビーにとってこれ以上ない嫌悪感を感じる相手だったと思う。自分で自分の生き方を決めているのに、基本的には「ワナビー」タイプで、そのくせ人を馬鹿にしている。最後にベイビーはそんなスキニーを撃ち殺す。その行為はスキニーに対する諦めでもあり、ミッキーに対する復讐でもあった。ベイビーなりの終わりの付け方だったのだと思う。

生きているベイビーとシルバー・ジョニー

シルバー・ジョニーは目の前で起きたこと、彼を巡って起きたことの総てをまだ理解できてはいないだろう。彼は窓を開けて、夜明けの街に出ていく。「ここから出たい?」と尋ねるベイビーは今までのサイコなベイビーとは異なって見える。そのままベイビーはジョニーを光の下に連れ出してくれる。一歩先も見えなかった暗闇から、救ってくれたのだと思う。でもきっとこれから、今までの普通がそうではなかったことを知る度、ジョニーは苦しむことになる。それでも、そこにはベイビーがいてくれるのなら、大丈夫だとそう感じた。

役者について

TAKAHIRO(以下たー様)はあれだけ癖があって上手い演者の中で、最初のうちは言動に比例せずあまり目立たないのだけど、先にも書いたように彼は周囲を写す鏡だからと考えるとその自然さがとても良かったなと思う。『MOJO』という作品では大事なモノローグを語る場面*1からは、彼が元々持っている業の深さがにじみ出てきて、キャラクターをはっきり感じることができる。それからはもう愛おしくて愛おしくて。贔屓目でもいい。最高。

波岡さんの演じたミッキーは本当ならばもっと老齢なんだろうなとは思った。オーナーの後釜を虎視眈々と狙っている男(いい年)みたいな。波岡さんのミッキーはベイビーのように本質を見抜く人にとっては他愛もない存在で、薄っぺらに見えるのだろうなと思わせる不思議な感じ。個人的には彼をヘラヘラしてないどっしりとした役で見るのが珍しかった。

木村了くんのスイーツ、本当に好き。馬鹿な薬中でも未来に対する漠然とした不安を持っている。優位に立つ人に取り入ろうとするんだけどそれも上手くいかず、宙ぶらりん。なにもかもが後手に回る感じ。ベイビーに本性を見透かされても、「本当の自分を見てくれた」と喜んでそうな感じもなくないなと思った。

そして、『イヌの日*2』ぶりの尾上寛之さんのシドニーがこれもまた最高で。スイーツとのゲスい会話も尾上さんと了くんだからすっと入ってくるというか。拒絶反応を示す前に笑ってしまう。悔しい。この二人の掛け合いを見ていると、演劇を見ているなぁというか、場面場面の空気感を察しながら、物語を展開させていくスキルを見せつけられるというか。個人的にはたー様の「初舞台」をこの二人に支えてもらって嬉しい。「ありがとうネルケ」の気持ち。

味方くんのスキニーは嫌いになりきれないけど、ベイビーだったらほんとイラつくんだろうなという感じ。キャラ的に舌っ足らずなのだけど、滑舌の良くない味方くんが本当に新鮮で、何しても笑いを持っていっていたと思う。彼のポイントとしては「子供がほしいんだよね」というくだりだろうけど、そんなに掘り下げられるような感じで使われてなくて良いのかなとは思った。あのコミュニティの中であの発言は結構意味深だと思うのだけど。

閑話休題木村了、尾上寛之、味方良介ってくるとめちゃくちゃ『ライチ☆光クラブ』やんと思ってしまう。2012年・2014年のゼラと、2015年*3のニコとダフですからね。味方くんは最後血まみれだし。ネルケの思惑はよく分からん。

最後にシルバー・ジョニーを演じた横田龍儀くん。映画『宇田川町でまっててよ。』ぶりに演技を観ました。あまり台詞が多いわけではなかったけれど、シルバー・ジョニーの幼さ、無垢さ、若いからこその言動に垣間見えるワガママさが良く出ていたと思う。この作品でいろんなことを学んでいるんだろうな感も良い。

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それでは


仮面ライダーに絶対になるぞー爆笑

ぜひ、仮面ライダーになってほしいですね。

 余談

MOJO』を観ていて思い出したのが『謎めいた肌*4『Jの総て』『クロードと一緒に*5』。特に『謎めいた肌』はモノローグの入れ方や、あまりに無邪気に出来事が展開していくところに近いものを感じた。ここらへんの話のことを時間的にも内容的にも永遠と考えてしまう人は、『MOJO』も観て一緒にベイビーについて考えてほしい(切望)。歪んでも歪みきれず、どこかに正気を残してしまっていることは幸せなのか不幸せなのか。結局救い主がいるかいないかが左右するのだなと思っているけど、果たして救いとはなんだろうな。

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