取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

どうやったって変化してしまう(お気持ちブログ)

好きなものが、どんどん様子を変えてしまう。

その過程は呆気なかったり、どうしようもなかったりする。私は彼女たちが解散したり、程のいい脱退をかましたりするのを止められないし、彼が大麻を吸ったことがバレて自殺を図ろうとしても(実際のところはわからないけど)、師と慕っていた人のお店を出て他のお店に移籍しても、直接的に私に関係のあることなんて何もない。ただ、「なんとなくさみしい」だけ。この「なんとなくさみしい」が積もって、「さみしい」になることはない。ただ、「なんとなくさみしい」だけ。私は何かを好きでいる過程に、「嫌いになること」を入れていないけど、その代わりに変化を受け入れることは積極的に行なっている。私だって変わる。みんな変わってしまう。楽しむのも自分次第、憎むのも自分次第。私はそういう変化の影響で嫌いを作りたくない。だから、それはそれとして受け入れることにしている。

でも本当は「センスがない自分」を認めたくないだけなのだ。

意見を変えて、乗り換えた瞬間に、自分の選択が誤っていたと、それにかけた時間が無駄だったと認めてしまうことになる。それが私には出来ないだけ。ずるずるといろんなところにまたがって、DD名を乗りながら、推しの幸せを毎日祈ってる。基本的に誰かと馴れ合う必要ないから壁打ちブログを書いてるわけで、必要以上に団結するつもりもない。そもそもいろんな人がいるな〜という多様性を感じられる場を求めてる。

ってか全部肯定されて〜〜〜!自分の好きなものを「いいね👍」されて〜〜〜!以外の気持ちはほぼないのよ(極稀に怨念)。というところで流行りのお気持ちブログを書いてみた。おわり。