取り留めもない

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ミーハーオタクな澁澤龍彦が好き

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澁澤龍彦が死んでから30年が経つらしい。

「現在に生きるアングラ*1」という麿赤兒×四谷シモン×桑原茂夫のトークイベントを見に行った。「あゝ新宿*2」の展示会が新宿高野ビルで行われている。そのイベントだった。麿さんはテレビや舞台で見るままで、四谷シモンはとてもダンディで美しかった。そんな彼らも澁澤龍彦を懐かしんでいた。

私は澁澤龍彦が好きだ。でも好きな理由は彼の小説が面白いからではない。彼はサドやバタイユの翻訳者として理解されているけれど、私は澁澤のエッセイばかりを読んでいるし、純粋にミーハーオタクの鑑として彼を尊敬している。澁澤龍彦は自分の好きなものを好きということに躊躇がなかった。一方で、好きだとしても対象を網羅的に知るよりも、それに勝る広角性への拘りがあった。極論、対象の人となりや性格がどうしようもなくても全く構わないという感じ。まるで人間は完璧ではないというかのように、彼の好きには愛情と諦めがある。そんなスタンスだから、彼は三島由紀夫寺山修司のような時代の流行り物とも一緒に楽しく生きていたし、そんな人たちからも愛されていた。澁澤龍彦の「好ましいところは褒めてやり、そう思わないものには基本的に言及しない」という友人へのスタンスを知るたびに、上手い生き方だなぁと思う。澁澤龍彦は好きのコレクターだった。それだけだった。

澁澤龍彦ふたたび』に菅野彰が寄せた文がとても印象的だったから一部抜粋しておく。三島由紀夫作品の中でもあまりできの良くない『音楽』を読んで、澁澤龍彦が「女子供に向けてわかり易く書いた小説だ」と解説を書いたことに対し、若かりし頃の菅野彰三島由紀夫澁澤龍彦に決別したという。そんな作品を書いた三島由紀夫も、いつもは切れ味の良い澁澤龍彦が友人だからといってそれを当たり障りのない言葉で片付けたことも許せなかったのだろう。けれどそれから時間が経ち、改めて三島と澁澤が「仲のいい友達だったんだな」と知った菅野彰は、澁澤龍彦のあの文章も「他愛のない悪口だ」と感じることができたという。すべては澁澤龍彦なりの愛する人への悪口だったのだろう。

ミーハーなオタクがミーハーなまま好きを突き通す。私もそうありたい。やっぱり私はミーハーオタクな澁澤龍彦が好き。