取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

狂った夢を見ました、ただの日記です

f:id:aooaao:20170211225653j:plain

娼婦に落とされて、その雇い主からはヒトとしてじゃなくてモノ(所有物)みたいに扱われ、そのくせ放任主義だから大丈夫かなって逃げたらものすごい勢いで探される(ただし暴力は介在しない)っていう夢を見た。自分が作り上げた夢のひとつとして、自分自身は確かにこのシチュエーションに愛を感じていて、さすがに自分でも狂ってると思った。逃げている時は楽しいし、捕まった時はめっちゃ愛だし、連れ帰られてる時は「次はいつ逃げよう」って考えてて。何もかもが可笑しかったけど、楽しすぎて三度寝した。っていう話。

『柔道少年』は物理的にめちゃくちゃDステだった。

f:id:aooaao:20170210235714j:plain

judo-shonen.dstage.jp

Dステ20th『柔道少年』は韓国演劇を翻訳した作品。真っすぐでわかりやすいコメディだし、物語として考えさせるような複雑さもない。私がそういうものを好んで観ることがないから、作品のテイスト自体がとても新鮮だった。キャラクターはすべて役者本人の名前で登場し、舞台上にいないD-BOYSの名前やエピソードも次々と飛び出す。だからといってそれが話の腰を折るようなことはないが、その人たち本人を知っているとより楽しめる。これは濃度の濃いDステだなと思った。それと同時に、むしろ主役の宮崎秋人はD-BOYSとしては新しい方なのだと思い出すこととなった。

思い返せば『夕陽伝』で初めて彼はDステの舞台に立った。「D-BOYSじゃないのにDステに?」とあまり思わなかったのは他に劇団Patchの二人がいたからかもしれない。だから確か上演がスタートする直前に宮崎秋人のD-BOYS加入が発表されたときの方が驚いた。そしてそのことが、彼や彼のファンにどんな感情を与えるのだろうということの方が心配だった。私自身はそのころ彼を「ぺダステに出てる人」という風にしか思ってなかったけど、少なくともD2がD-BOYSと名乗るようになったときの複雑な気持ちはわからなくなかったから。今年になって公開されたインタビュー*1でも彼は、「(加入が決まった時に)すぐにうれしいと思えなかった」と言っている。その人物が諸々を受け入れ、それを自分の目標までの推進力にしていく過程にどんな思いがあったのか。残念ながら私にはわからないから、おおよそを邪推することしかできない。でも、普段は明るく振る舞う裏で、葛藤があったのだろうということはわかる気がする。そんな彼が、物理的にめちゃくちゃDステを感じる舞台の真ん中にいることがなんだかとても不思議で、同時に嬉しく、そしてまさしくこれが彼の「再デビュー*2」なのだなと思った。ちなみに、この点について宮崎秋人のオタクと深く語り合いたい気持ちがある。

彼の演じた柔道少年も、初めは柔道に対して意固地になっていたけれど、自分の越えなくてはいけない壁に気がついたときに、次第に物語が開けていくようなキャラクターだから、そういう意味でも彼自身に近いんじゃないかなと邪推してみたり。語弊を恐れず言えば、宮崎秋人の「普通さ」という魅力が際立つ役だった。

荒井敦史はもう見た目かっこいいが過ぎるほどなのに、中身が驚くべき程に可愛くて途中私は何回か死んだ。韓国語で女の子が男性に言う「おにいちゃん」は、血のつながりがなければ僅かでも下心のある呼び方なので、呼ばれた瞬間ニヤけるくらいで問題ないと思う。いや、そのくらいしないとかっこいいが過ぎるんだって。

ミッチェルこと三津谷亮は、自分自身のキャラクターがこの作品でどんな効果をもたらすのか理解していて、笑いの惹きつけ方と押さえ方を心得ているところがプロだな~という感じだった。いや、れっきとしたプロなんですけど。

いけぴは「ここ(下北沢)は池岡亮介の庭かな?」っていうくらいリアルな笑いを、舞台上のあらゆる場所で構築していて、観客はいつの間にか彼の手中にいるみたいな不思議な感覚になった。彼の纏っている空気感がスズナリとぴったし。

この作品は、今やってることに飽きたところからがまた面白くなりそうというか、今後いかようにもアドリブ入れられそうだし、入れてほしいと中屋敷さんも思ってるだろうから、最初の方と最後の方で観るのじゃ楽しみ方が違うはず。私自身もこれからもっとこの作品を自分のものにして、はしゃぎまわる彼らを観たいので下北沢に通い婚しま~す。

あ、三津谷さんお誕生日おめでとうね!

関連記事

aooaao.hatenablog.com

追記

 イマジネーションのくだりは2/10のネタでした。

 

寒いから前後不覚

「〇〇の話をします」から始まるのってなんかとてつもなくダサくて頭悪そうなんじゃないかって思えてきました。そんな今日は信条の話をします。

高校の頃、いわゆる欧米のエモ*1を齧ってたので目の周りは一周アイラインで墨を引かれてて、服も真っ黒で、多分それなりに異様だったと思います。あまりにもクソ田舎なんで、そんな顔しても人とすれ違う回数が少ないのが救いでした。それ以前から、なんだか自分の良しとするものが歪なことには気がついていたけど、なぜグロテスクで気味が悪いものに惹かれたのか、いかんせんそれを言語化できなかった。そんな時に読んだのがこの本。

ゴシックスピリット

ゴシックスピリット

 

この中でゴシック的なものを愛する人たちの嗜好性を下記のように表現していた。

物心ついた頃から怪奇なもの怖いもの暗がりにあるものが気になって仕方なかった。夜とか墓場とかお化けとか怪談とか、そうした想像が興味の大半を占めていた。

集団生活と共同作業が苦手だった。幸い今のところ徴兵制はないからよいが軍隊に入れられたら耐えられないだろうとよく考える。

平穏が続くというのが信じられない。いつも死のイメージばかり考えていた。

死は膜一枚で隔てられているだけと思っていた。今もそう思っている。

ダークな感じ、陰惨なもの、残酷な物語・絵・写真を好む。

ホラーノヴェルもホラー映画も好きだ。

時代遅れと言われても耽美主義である。いつもサイボーグを夢見ている。肉体の束縛を超えたい。
両性具有、天使、悪魔、等、多くは西洋由来の神秘なイメージを愛する。

金もないのに贅沢好み。少女趣味。猟奇趣味。廃墟好き。退廃趣味。だが逆の無垢なものにも惹かれる。

情緒でもたれあう関係を嫌う。はにかみのない意識を嫌う。顔を合わせれば愚痴を言い合い、ハードルをより低くして何でも共有してしまおうとする関係を見るたび、決して加わりたくないと思えてしまう。自らの個の脆弱さは身に滲みて知っているつもりだが、だからこそ、最初から最低レヴェルで弱さを見せ合い嘆き合おうという志の低さが気に入らない。

欲望そのものはよいとしても野卑で凡庸な欲望の発露を厭う。主に性に関する場合が多いのだが、「不倫」だの「結婚願望」だの「恋の駆け引き」だのといった予断に満ちた語は性の形をひたすらありきたりに陰影なく規格化していて腹立たしい。いくらでも異様な発露を見せうるはずのことを常に決まりきった形で安く語る言葉が嫌悪されてならない。

自信満々の人が厭だ。弱者だからと居直る人も厭だ。「それが当たり前なんだから皆に合わせておけ」と言われると怒る。はじめから正統とされているものにはなんとなく疑いを感じる。現状の制度というのが決定的な場面では自分の味方でないように思える。いつも孤立無援の気がする。

気弱のくせに高慢。社会にあるどんな役割も自分には相応しくない気がする。

毎朝、起きると、また自分だ、と厭になる。自分ではないものに変身したい。それは夜に生きる魔物であればよい。

そこに善悪は問題でない。美しく残酷なこと。きりきりと鋭く、眠るように甘いもの。ときにパンク、ときにシュルレアリスティック、またときに崇高な、暗い魅惑に輝くそれがゴシックの世界であると私は信じている。

引用が長い、というのはひとまずおいておいて、私は昔から自分自身に価値はないと思っていた。心が萎えれば萎えるほど、生きていると感じられたし、そういう感覚を味わうためにわざと人々が嫌悪するものを知ろうとし、見ようとした。不当な扱いを受けても、それは自分自身が本当はこの世界と適していないのだと思えば仕方ないと諦められたし、どうも言い分が理解できない時には、頭の良し悪しに限らず、この人とは作りが違うから分かりあえないのだと考えた。だからこそ異種としてなるべく理解し合いたいと思うし、相手にもそれを望んでいる。人間は基本分かりあえないのだから、絶えまぬ努力が必要なのだ。そう思っている。他人に過度な期待をしない。世界を変えたいなんて途方もない夢は見ない。基本は苦しみながら、その中で至上の喜びを見つけながら生きていくことに価値を感じる。

というような自分の信条を一行ぐらいでまとめて話したい。

関連書籍

ゴシックハート (立東舎文庫)

ゴシックハート (立東舎文庫)

 

 

映画『タンジェリン』

f:id:aooaao:20170205214906j:plain

www.youtube.com

STORY

ロサンゼルスのクリスマスイブ。28日間の服役が終わり自由の身となったトランスジェンダーの娼婦(しょうふ)シンディは、同業者のアレクサンドラとドーナツショップで1個のドーナツを分け合いながら、留守中に恋人が浮気したことに怒りを爆発させる。一方、歌手を夢見るアレクサンドラは、その夜に小さなクラブで行うライブのことで頭がいっぱいだった。

 映画『タンジェリン』 - シネマトゥデイ

REVIEW

こんなに笑える作品だと思わなかったし、でも主に笑ってるのは私の隣の外国人とその恋人だけだったのに、なんでこんなに静かなのさすが日本人って感じだった。なんていうのか、人の不幸を笑ったらいけないっていう根本的な真面目さが楽しむことを邪魔してしまうのかしら。単純に想像通りの強めなトランスジェンダーたちが、思った通りの身振り手振りで話すの面白いでしょ。ジェフリー・スター*1っぽい。

www.youtube.com

ヒモみたいな人と目下交際中。

話を映画に戻すと、これが前編iPhoneで撮影されたってことを開始10分で忘れるぐらい、人間のパワーに溢れた作品だった。もちろん感情渦巻くっていうこともあるけれど、それ以上に自分が自分らしく生きるために苦悩して、だからこそ滑稽で、なのにかっこよくて、かわいくて、美しくて。すごく馬鹿みたいなことを言えば、世界の苦しみを全部食べてかわいくなっちゃう存在なのかなって。歓びも哀しみも全部その瞬間に表現しちゃえば、なんにも怖くない。強がりかもしれないけど、でもそれ以外しょうがないじゃないって笑い飛ばしてくれる。これクリスマスの時期に観たかったなって思うし、今後クリスマス映画の一つとしていろんな人におすすめしたい。 

しかし、イメージフォーラムじゃないよな。懐かしのシネマライズ*2で観たかった。

www.tangerinefilm.jp

*1:Jeffree Starは高校の頃からのあこがれの人。

*2:シネマライズ http://www.cinemarise.com/

映画『ANTIPORNO』

f:id:aooaao:20170205211305j:plain

www.youtube.com

STORY

世間からもてはやされている小説家兼アーティストの京子(冨手麻妙)は、今日も極彩色の部屋で分刻みのスケジュールをこなしていた。しかし、寝ても覚めても消えない悪夢が京子をさいなみ、彼女は自分は京子なのか、京子を演じているのかと混乱してしまう。そして、虚構と現実の間で、彼女の過去の秘密が明らかになり……。

映画『アンチポルノ』 - シネマトゥデイ

REVIEW

そうそう、園子温ってこんな感じだった。鑑賞後の感想はこれだった。

主人公は京子、もしくは京子を演じる典子。どちらでもありどちらかだけでもなく、二人は一つの人物であり、異なるキャラクターである。性に対して放埒である自分と、禁欲的な自分。その二つで一つを「演じる」という行為によって浮かび上がらせる。ポルノというジャンルを観るときに搾取される女性性を問い、反芻することが「アンチポルノ」ということだろう。そもそも、男性ばかりの観客の目にどう映ったのか私も気になる。私にとっては至極当然に「自分たち」の物語であってそういう意味で観るほかなかったが、男性を自称する人たちにとってはもしかしたら「どこぞの無様な女」を観るようだったのではないかと、そう思ってしまうしまうから。だから気になるのだ。

性に狂気する女は面白い。『恋の罪』でもそうだった。それを表現することがアンチというのなら、それもそれであることなのかもしれない。少なくとも私は、ポルノを性(生)の表現とするなら、それに対するものは死であると思っているので、「アンチポルノ」があれほど「いきたい」と叫ぶ作品とは思わなかった。

主演の冨手麻妙ちゃん。闇金ドッグスぶりに見たけれど、とても良い女優さんになるのではないかと思った。どちらも内田英治監督の『獣道*1』と『ダブルミンツ*2』が楽しみ。園子温作品にもよく出ているけれど、つくり手に愛される役者になるのだろうな。

 

 

演劇は元が取れるらしい

秒換算したら「実質タダ」の話ではありません。

この間転職していった人から、次に勤めた会社が持っている版権ものの舞台化作品を観に行ったという話を聞いた。ここでは全く関係がない話をするが、この人物は微塵も「イケメン」やら「演劇」やらに興味がない。だけれども「仕事であれば、なんでも知れ」というタイプというで、そういうところに好感が持てる。しかし、この人物とは根本的に反りが合わない。悲しい。

閑話休題。「なかなかに面白かった」と言うから、なんの作品かと思って調べたら、私が知ってるレベルの俳優は一人もおらず、少なくとも私のTLでは誰も話題にせず、作品自体も昔からのファンがいるようなものでもなく、思わず「ペイできたのか?」と聞いたら「主に物販で」と言われた。なるほどですね、ってあの感じでペイできるなら、版権持ってる強さはあるけど、結構儲かるんだなそりゃ次々に舞台化するわ。って思ったわけです貧乏性の我は。

https://deview.co.jp/X_ddays_108

上記のページで“2.5次元舞台”というジャンルが商業的にうんぬんというような話を、荒木宏文オンニ*1がしていらっしゃいます。が、それよりも碓井くんがいわゆる「2.5次元作品」に興味があるとは初耳だった。そうは言いながらめちゃくちゃ作品選びで逆を行く男、碓井将大。翻訳劇頑張ってね、という話ではなく、煌びやかな世界でも制作会社はジリ貧なんだろうなって思ってたからホッとしたっていうか。この世のあらゆる仕事は何かしらの富を生んでこそなので、真っ当だと思いますよ本当に。でも一方で、芸能事務所ってタイヘンそう。最近でもいくつか倒産したようですし。最初は単なる事務所のつながりで、ビジネスライクな付き合いだったけど、いつの間にか水入らずっていう奇跡が好きなので、事務所を推しがちだから寂しいの。古くはFueled by Ramen(洋楽)やDecay Dance(洋楽)からYG(K-POP)、LDH(J-POP)、ワタナベエンターテインメント(俳優)まで。この間もいろいろ推してきた気がするけど、今日はもう眠いので終わりにします。 

【今日の一言】スマホで書き始めると筆が進む。

 

以下、エスエフです。

ビッグデータで物事の相関が弾き出され、総てを予測することが当然になった世界では、まだなにも成していない犯罪者たちから身を守るために、被害者予備軍が自らを鉄格子の中に閉じ込めていた。この世界では犯罪は未然に予測され、「犯罪者」に認定されたら最後、その囲いから追い出される。それは何百年も前に法律で決められた。

そしてその日もまた一人、門の前に少年が連れてこられた。

彼は、中ではほかの人となにも変わらない、いたって普通の少年だった。けれど昨晩、検査で「殺人者」と認定されたのだ。その言葉が最後。否定しても、拒絶しても彼は「犯罪者」。そして、そこを出るということは彼らの常識で言えば「死人」ということ。その現実を前にして泣き叫ぶ母親を横目に、少年は冷静だった。

門の前で彼は見送りに来ていた幼馴染に別れを告げようとしていた。

その幼馴染は「なんで」と「どうして」を繰り返し、それに対して彼は「仕方ないよ」とだけ答えた。仕方ないのだ。その世界では、犯罪は被害者から回避され、犯罪者は忘れられる。データが総てを握り、それ以外はなんの意味も持たない。「それでも離れたくないよ」と幼馴染は言った。それを聞いた彼は、幼馴染の手を掴んでその先へ飛び出した。

彼は「犯罪者」となり、彼は幼馴染を殺した。そして彼らは別の世界を歩き出した。

 

というようなことを考えるような本でした。

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

 

 なお、本書には上記のような物語要素は全くない。