DD過ぎて中身が薄い

映画や舞台の感想書いたり、推しが大好きと叫んだり。

10月の映画と演劇まとめ

めちゃくちゃ充実していた。もう一回10月やりたい。

映画

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

舞台

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

そのほか、柿喰う客フェスティバル2017 無差別

 

9月の映画と演劇まとめ

いまさらですがまとめました。メサイアもう一回観たい。

映画

aooaao.hatenablog.com

aooaao.hatenablog.com

舞台

aooaao.hatenablog.com

ライブ&フェス

aooaao.hatenablog.com

 

PARCO presents 『RICHARD O'BRIEN'S ロッキー・ホラー・ショー』

f:id:aooaao:20171119174745j:plain

www.youtube.com

REVIEW

映画版は映画好きの必修科目かなと思って2年前くらいに観た。その時の「なんだか分からんがこれはすごい」という気持ちがふつふつと湧いてきて、最後は「ねにこれめっちゃ楽しいじゃんーーー!」で終わるサイコーな作品でした。

まずは東京ゲゲゲイメンバーとダンサーによる「売り子7」という売り子アイドルが、前説&グッズ販売をするんだけど、BOWちゃんの観客人気が半端ではない。柳原可奈子みたいな話し方してもの売りつけられると、なんか買ってしまいたくなる気持ちわからなくない。あと、その中にも女装して紛れ込んでいたダンサーの戸塚慎氏がかっこよすぎて無理だった。なんだろうあの顔と骨格の良さ。好き。

 話は戻って、物語はまあ映画とほぼ一緒で荒唐無稽な出来事の中で、性の解放とかマイノリティーのシニックな表現がいろいろ盛り込まれていて、それなりに考えるところもあるんだけど、そんなことよりなにより曲やダンスで全部を飲み込んでいく感じが舞台だとさらに近くで感じられて良かった。

www.youtube.com

特に、今回のバックバンドに女王蜂のメンバーがいたこともあって、割りと女王蜂のファンも多かったように思う。そんな私も女王蜂好きだし、ほんと時勢とあってこの作品にアヴちゃんが役者と出ていることが奇跡のように感じた。

www.youtube.com

www.youtube.com

ときどきメンバーもモブとして参加するんだけど、ひばりくんが楽しそうにしているのを見ると「きゃー」となってしまうオタクが心のなかにまだ住まっていて安心した。

ソニン小池徹平は始終『ビバリーヒルズ青春白書』のモノマネをする友近なだぎ武みたいな喋り方でそれだけでもしんどいのに、歌が非常に上手いのでかなり笑ってしまった。歌が上手くて笑うってどういうことやねん。

あと、久々に見た上木彩矢がめちゃくちゃかわいくて、というかイメージが全然違って恋をしてしまった。

www.instagram.com

ゴスでパンクな下のサイトにあるようなスタイルが好きだからドツボ過ぎてつらい。マニパニとかで髪を染めてコルセット巻くタイプの人間でした。

xxxegxxx.shop-pro.jp

古田新太はマジで古田新太だなという感じ。特に何も言うことはないっすと思うと同時に、あんなに歌手本業でやってるような人たちの中で劣らぬ歌唱力はすごい。ゲテモノなんだけど「美声だな・・・」って思ってしまった。

想像以上にライブ感がすごくて、それはもちろん作品の素晴らしさあってのことなんだけど、こうであればもっと楽しいのにと思ったのは、ある程度観客がシンガロングできるものであればよかったのにな~ってことくらいかな。例えば、パンフじゃなくてスクリーンに歌詞を映すとか、歌詞付き動画を先にリリースしておくとかね。何回も見に来れば空で歌えるようになるのかもだけど、日本語の歌詞になってるしやっぱり難しい。でも、何も考えずに楽しく見られる作品であることは間違いない。おすすめ。

公式サイト

www.parco-play.com

参考記事

eiga.com

natalie.mu

natalie.mu

ilip.jp

kangekiyoho.blog.jp

【感想】ミュージカル「ロッキー・ホラー・ショー」に予備知識なく行ってみたら... | 2017年公演 - アートコンサルタント/ディズニーやミュージカル、ビジネス情報サイト

www.youtube.com

映画『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』

 

f:id:aooaao:20171119170747j:plain

REVIEW

グザヴィエ・ドランの世界は私の世界ではない。彼のように鮮やかで激しくてドラマチックな世界を私は生きていない。地味で、平坦で、みっともないと泣くことすらない、そんな世界が私の世界。だからこそ、ドランが描く世界の美しさに感動する。私が知らない人間の美しさや汚さ、愛おしさをスクリーンを通して知る。

役者をやりたくて映画を撮った。そんな彼は夢を叶え、さらにその作品でカンヌを取った。個人的に、アカデミー賞よりも価値があると思う。彼の多様性を皆が愛したのだ。彼は「もし自分が演じるとしたら」という視点で演出すると言った。例えそれが5歳の子供でも、老婆でも変わらないという。自分より長く演技で生活している役者たちを前に、役者としての感覚で対話をしていると言い切った彼は、やはり傲慢で自意識が高いように見えるかもしれない。でも、それしか知らないのだからどうしろというのだろう。独学で映画を撮り始めた彼だからこそ、自身を持ってそう断言できるのだろう。

彼が音楽を使って作品のイメージを直感的に周りと共有しているというくだりが一番興味深かった。その日の観客は、純粋にグザヴィエ・ドランを好きな人とアーティストっぽい人に二分されてたけど、隣が多分後者寄りの人で、時折前のめりになって画面を見つめていた。こうやって、いろんな人の影響を受けながらアーティストたちはまた私達観客に新たな世界を見せてくれるのだなと思った。

時々思う。私がそっち側の人間だったらと。憧れるばかりではなく、求められる人間だったらと。でも、きっとそんなこと言っているうちはなにも変わらないんだ。

 

参考記事

 www.cinemacafe.net

realsound.jp

natalie.mu

映画『HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION』

www.youtube.com

STORY

チームを超えて力を合わせ、悪名高きスカウト集団・DOUBTと監獄からの刺客・プリズンギャングとの“黒白堂駅の闘い”に勝利したSWORD(山王連合会、White Rascals、鬼邪高校、RUDE BOYS、達磨一家)メンバーたち。だが、勝者が決まったかに見えたその場に、九龍グループの善信会を率いる善信吉龍(岸谷五朗)が乗り込んでくる。
九龍グループが振りかざす“大人の力”は、想像をはるかに超えて強力だった。琥珀(AKIRA)、九十九(青柳翔)、雨宮雅貴・広斗兄弟(TAKAHIRO、登坂広臣)が、命懸けで公開したUSB内の機密情報によって一度は逮捕された九龍グループ総裁・九世龍心(津川雅彦)は、証拠不十分によりすぐ釈放。打ちのめされた若者たちに追い打ちをかけるかのように、九龍グループ総力を結集した“SWORD壊滅行動”が遂行されていく──。
大切な仲間を狩られ、愛する地元の街に吊るされた山王連合会。大切な根城のクラブ「HEAVEN」を金の力で追い立てられるWhite Rascals。鬼邪高校や、達磨一家の本拠地も壊滅状態。固い結束を誇る山王連合会は分裂の危機に晒され、コブラ(岩田剛典)は一人、九龍に闘いを挑むが、逆に拉致され激しい拷問にあってしまう。“無名街”には重機が入り、無残にも九龍に破壊されていく。ここにいては家族に危険が及ぶと察知したスモーキー(窪田正孝)は、皆に逃げろと告げて、一人街に残り、敵に対峙しようとするー。
政府と裏でつながっている九龍グループは、かつて政府主導で行われた不正を隠ぺいするため、SWORD地区の“無名街”を爆破、その跡地にカジノ建設を目論んでいた。その事実を知った琥珀は、コブラ救出作戦を決行。一堂に会したSWORDメンバーと琥珀・九十九・雨宮兄弟たちは、隠ぺいを暴くための“3つの証拠”を見つけだし、九龍の野望を永遠に打ち砕くことを決意する。
「これが最後の喧嘩だ!」
政府によるSWORD地区の爆破セレモニーが刻一刻と迫るなか、九龍グループの圧倒的戦力をくぐりぬけて、“ファイナル・ミッション”に走る若者たち──。
伝説として語り継がれるSWORD最後の戦いが、いま始まる。 

http://high-low.jp/movies/finalmission/

REVIEW

広げた風呂敷を一気に畳みに行き過ぎていろんなものがなおざりになってた気がするけどそんなことはどうでもいい。シーン数的にはめちゃくちゃ少ないスモーキーが全部もってったしゅごい。

とにかくスモーキーさんがところどころでつぶやくポエムがめっちゃ泣ける。死を前にしてなんであれほどに文学的なの?ずっとそれ考えてたでしょっていうレベル。中原中也か(適当)でもこれからもしハイエンローの続編があったとしてもスモーキーは出てこないんでしょ。悲しすぎる。この点は制作陣反省してください。

そのほか気になったのは、コブラのヒロイン化が深刻だったことかな。生コンの刑から琥珀さんに助け出された時のあのコブラの眼。絶対恋してたから(妄言)SWORDのオッパたちから守られているコブラたん。ほんと無敵ヒロイン。私だってKOOさんに守られたい。雨宮兄弟には冷たくされたい。九十九さんとは婚約したい。以上です。

これで一旦終わってしまうのはさみしいけど、結局良くわからないラスボスが居るらしいし、でもその匂わせ(最後の英語)みんなに伝わったかな。日本の英語力の向上が 求められます。。。

前回散々TLを荒らしていたジェシーもほんと一瞬しかでてこなかったし、LDHはいつも想像を裏切ってくる。ということでFINAL MISSIONといいながら、実際は終わらないことを祈っています!!!全身全霊で!!!

PARCO Production『この熱き私の激情 それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは、失われた七つの歌』

www.youtube.com

INTRODUCTION

女であることへの戸惑い、怒り、コンプレックス、そして生きていくことへの辛さ、悲しみ、無力感と孤独。6人の女優と1人のダンサーで演じる1人の女の生涯。

この熱き私の激情| PARCO STAGE

REVIEW

私は、もう殆ど死んでいる。それも私の気が付かない内に。観劇後の感想はこうだ。8つに区切られた空間。そこに存在する7つの魂。それがそれぞれ苦悩し、生きている。それなのに私は、殆ど死んでいることにも気づきもせず劇場の椅子に座っていた。

女は女に生まれるのか、女に育つのか。

女を強調せずとも生きることができるこの時代に生まれ、漫然と生きてきた私には、この問がどこか遠い昔のことのような、別の世界のことのような気がしていた。だが実はそれは違う。女であることの本当の価値を見出すのであれば、女たるべきであるというのは当然のこと。私は彼女たちが悩み苦しんでいるずっと手前で生まれたての赤ん坊のように無邪気にこの世にこの実を晒していた。なんて無意味な生。

カナダの物語であることが関係しているのかわからないが、伊勢谷友介が主演した『パッセンジャー*1』という映画にも、美しくあることに取り憑かれた中年の女性が出てくる。彼女はそのままでとても美しいが、自分が「女」であると評価されなくなることに恐れを感じていた。娼婦であれば尚更だ。美しくも醜くもない「自分」が年老いてしまうだけで恐怖、と感じるのは理解できる。魅力はそれだけではないだろうという言葉などほとんど意味がない。『クロードと一緒に*2』で娼夫のイーヴが刹那的な感情でクロードを殺したのも、彼が娼夫としてこれから衰えていくばかりの自分を、まだまだ差別的な社会に生きながらクロードが愛し続けてくれるか不安だったから、というのも理由の一つに違いない。

この作品からは絶え間なく詩的な言葉が溢れ出て、苦しみも歓びも悲しみも、あらゆる感情が総て洪水のように観客に襲い掛かってくる。 ただ何もできず受け止める他ない私たちは、唯一の抵抗手段である言葉も失った。オートマタの物語のように開いては閉じる世界が今でも頭の中を巡っている。悲痛に歪む子守唄のような歌声が耳にこびりついている。

公式サイト

www.parco-play.com

関連記事

natalie.mu

www.musicvoice.jp

https://spice.eplus.jp/articles/155800

www.astage-ent.com

P.S.

舞台の前に立ち寄った東京都写真美術館の展示もとても良かった。ネリー・アルカンの映画も上映されている。

f:id:aooaao:20171106000737j:plain

イキウメ『散歩する侵略者』

f:id:aooaao:20171030233808j:plain

STORY

 海に近い町に住む、真治と鳴海の夫婦。真治は数日間の行方不明の後、まるで別の人格になって帰ってきた。素直で穏やか、でもどこかちぐはぐで話が通じない。不仲だった夫の変化に戸惑う鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。町では一家慘殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発。取材に訪れたジャーナリストの桜井は、“侵略者”の影を見る_。

http://www.ikiume.jp/kouengaiyou.html

REVIEW

私は理解しているつもりでいた。だからこれは再び物語を思い起こす作業なのだと思っていた。でも実際は映画では半分も分かってなかった美しさがそこにあった。

イキウメの物語はSFだとどこかで思っていたのだが、今作は映画と舞台では印象が全く異なっていた。映画は地球に暮らす人達と、宇宙人の攻防という感じが確かにした。

aooaao.hatenablog.com

それがイキウメで『散歩する侵略者』を見た時には全く異なった感想が浮かんだ。そこに出てくる「宇宙人」も「概念の喪失」も常に私達の身近なところにあって、でも多くの人には気づかれていない。この気づきが訪れない内に様々なことが偶然のように連なっていくということそのものがイキウメのSFっぽさ。宇宙人だと思っていたものが実は自分たちと同じものだったということに恐ろしさを感じる。

理解ができない存在を「宇宙人」と呼び、常軌を逸した存在と認めるとそれは「宇宙人」になる。そう、認めなくてはいられない。そう認めることで自分の存在のまともさを確認し、「宇宙人」を拒絶する。だがしかし、実際は「宇宙人」を見極める方法などなく、あるのはそう区別することだけ。演劇はもともと作りごと、虚構の類だが、その中にもファンタジーを見出すか否かは作品によるだろう。演劇を観ていてそんな感覚になったのははじめてだった。

「概念の喪失」については作品中の登場人物ほどに急ではないにしても、誰もが経験し得るこのなのかもしれない。「ゲシュタルト崩壊」という言葉がある。文字や図形などをちらっと見たとき、それが何の文字であるか、何の図形であるか一瞬で判断できるのに、これを持続的に注視し続けることで全体的な形態の印象、認知が低下してしまう知覚現象のことであるが、自らの周囲にある概念に対しても同じこと。あまりに当然過ぎて疑うことがない「概念」を改めて問い直すと果たしてそれは何だったのかわからなくなってしまうこともある。本当のところはそういうことなのかもしれない。

少し前深夜のNHKの番組で、あるお坊さんが「死」の概念の乗り越え方として、「死」を経験するときにはすべて過ぎ去っていることであり、本当に「死」が恐ろしいのは、むやみにそれがきたときを予測して怖がっている瞬間だけなのだから、予測をやめることと言っていた。私からみればそれこそ概念の喪失。鳴海は真治と過ごす内に無意識にそのことを理解した。だから「愛」の概念を真治に捧げた。鳴海がその結果をどこまで予想していたのか分からない。まるで呪いのようなものだったのかもしれない。そして真治は知ってしまった。自分が目の前の人物にどれほど愛されていたのか。自らが鳴海を愛おしいと思えば思うほど、それが自分に向けられた愛情であったのだと。

「今はもう、わからないんだ」

その言葉が希望の言葉として私の心に入ってきた。『関数ドミノ』にも同じように、真っ暗な中の一縷の希みがあった。概念を奪うことで人びとが幸せになれるかどうかは分からない。ただ、等しく生き死ぬ我らが概念や思想に殺されてよいのか、ということは考えた。

aooaao.hatenablog.com

最後に少しだけ俳優さんのことを。真治を演じた浜田信也さんは全編を通して素晴らしかったのだが、特に宇宙人から人にスライドする瞬間の感情の込め方に私自身胸を打たれた。人間としての佇まいがとても美しい。

aooaao.hatenablog.com

なにが言いたいかというとつまり、イキウメの『散歩する侵略者』を観てくれ。

www.ikiume.jp

 

関連記事

www.sponichi.co.jp

hasebetheatercritic.blogspot.jp