取り留めもない

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映画『神のゆらぎ』

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STORY

看護師と末期の白血病であるフィアンセのエティエンヌ(グザヴィエ・ドラン)は、共にエホバの証人を信仰していた。さらに不倫関係のバーテンダーの男とクロークで働く女、アルコールに溺れる妻とギャンブルが大好きな夫、過ちを償うためにドラッグの運び屋になる男らの運命が交錯していく。

映画『神のゆらぎ』 - シネマトゥデイ

REVIEW

上映中とは知りつつ、通常公開ではないのでタイミングが合うかなと思ってたけど、時間があって観てきた。映画監督でもあるみんな大好きグザヴィエ・ドランが出演する『神のゆらぎ』。原題は‟MIRACULUM(奇跡)”。あらゆる人の「奇跡」についての物語だった。

き‐せき【奇跡/奇×蹟】

1 常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。「―が起こる」「けががなかったのが―だ」

キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象。

きせき【奇跡/奇蹟】の意味 - goo国語辞書

エホバの証人の信仰者たちは奇跡を望んでいて、不倫のカップルは奇跡を信じていて、中毒に溺れる二人は奇跡を疑っていて、飛行機事故で生き残った人に奇跡が訪れる。その「奇跡」とはいったい何なのか。果たして祈り信じるものにもたらされるものなのか。こうして人間の俗的な生き方と、信仰心に基づいた生き方のどちらも目の当たりにした時に、キリストはもちろんどの宗教にも属せず、無宗教を名乗りながら使いたいときに使いたいように「神様」を持ち出す私は、俗的な生き方が当然のように思えてしまう。そうして、「やっぱり全能の神はいないのだ」とも。一方で、あらゆる苦難さえも神がもたらしたものだという考え方も理解できないことはない。ただ、「今のところ」信心を持つことが自分自身の幸福にとってポジティブに働かないと思うだけ。それはあくまで個人が決めること。悲劇しか想像できないとしても、他の誰も決めることはできない。

少なくとも、人間が生み出した可能性を人は「奇跡」とは呼ばない。だからこそ「奇跡」を信じてしまう。そんなことを考えてしまう作品だった。