取り留めもない

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松田凌とユング的「永遠の少年」

※ド新規がその立場をわきまえないで書く記事です。

ピーターパンとコバヤシ少年

昨年、松田凌の主演で上映された『遠ざかるネバーランド』を観た。この当時、自分が定期的に演劇を観るようになるなんてついぞ思わず、それでも何の因果か4月には『ドン・ドラキュラ』を観ていた。話を作品に戻して、この作品で松田凌はピーターパンを演じていた。それはもう、まごうことなき「少年」だった。年を取ることを拒み、空を飛ぶことだけを願う少年。「今が楽しければそれでいいじゃないか」と言い、将来への希望に対しては全くと言っていいほど価値をおいていない少年。

なんだかそんな少年、観たことある気がする。

今年の2月に上演された『パラノイア★サーカス』。そこで彼は、コバヤシ少年を演じていた。ここで、それがいかにピーターパンと似ていたかということや、一つの個体の中で繰り広げられる物語であるところに近さを感じたというようなことを書くのは無粋なのでやめる。でも、自分自身が近いものを感じたのは確かだし、それは松田凌という役者にあるひとつの「少年性」を皆が求めている証拠なんじゃないかというのはひとつ書いておきたいことだった。

松田凌の少年性

役者の正体や、プライベートを知りたいとは思わないし、それよりも演じる姿から見える役者の本性が好きだ。そういうことで、好きな俳優のイベントではなく舞台の上で演技が観たいというのが第一にある。作品について考え、表現する彼らを観るためにフットワークを軽くする。この衝動は自分自身のある穴を埋めるためにわき起こっている気がするけれど、それは今回どうでもいい。話を戻すと、つまり私は松田凌という役者の「少年性」に強く惹かれている。その「少年性」は実際の少年では表現し尽くせない。十分に成人し、大人である彼だからこそ表現できる「永遠の少年」の姿。それが表現できるのは彼が童顔だからでも、中性的な容貌であるからでもない。少年のような漲る生命力と純粋さ、それに相反する冷静な視線が彼には備わっていると思う。

ユング的「永遠の少年」

ユングが言う「永遠の少年」は年齢的には大人であるにも関わらず、心理状態が思春期の状態の人間のことである。彼自身がそうである、というのではない。この「永遠の少年」が持つ魅力を、松田凌という役者は表現することができるということが今思っていることだ。

永遠の少年が象徴しているのは、第一にはやはり「若さ」でしょう。
永続的な、若々しく逞しい肉体。美しさ。清浄で明晰な精神。
これらは、望んだからといって簡単には手に入れることができない
圧倒的な魅力を持つものです。

ユングが言う「永遠の少年」とは?

ただ見た目として若々しい、幼いということではなく、圧倒的な「若さ」という生命力と清らかさを魅力として提示する。もはや暴力的なその彼の「力」に私はほとほと参っている。彼は今後もその力を見せ続けてくれるだろうし、私もそれを楽しみにしている。きっとその魅力が壁になることもあるんじゃないかと思わないこともない。けれど、そんなことをどうこう言っても仕方ない。自分にできるのは、彼が輝く一瞬を見落とさないように見続けることだけなのだから。

 

 

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