取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

二人芝居『Equal』

f:id:aooaao:20151225075244j:image

末満健一さんが脚本演出を手がけた作品。残念ながらDVDでの後追いになってしまい、今日という日になるまで感想が書けないままでいました。
 

▼story

18世紀初頭のヨーロッパのある田舎町。長い間病気を患っているニコラと、彼の病気を治すために医者になった幼馴染のテオ。ニコラは病弱の自分がテオの重荷になっているのではないかと悩むが、テオはそんなことはないと言い、あまり外に出かけられないニコラのために日々起きたことやニコラの病気を治すために学ぶ「錬金術」について、子供の頃の話をする。はじめは噛み合っていた二人の思い出話は、次第にずれ始め、死期の近いニコラには不可解な言動をとるようになる。
 

▼style

二人芝居ということでキャストはSTELLA(ステラ)バージョンの三上真史&辻本祐樹、LUNA(ルナ)バージョンの牧田哲也山口賢貴の2パターン。そしてなにより特徴的なのは7日間の物語で、ニコラとテオの配役を交互に変えていくということ。例えば1日目、牧田哲也がテオ、山口賢貴がニコラなら、2日目は山口賢貴がテオで牧田哲也がニコラというように。そして、このことがこの『Equal』という話の肝になる。
 

trick

幼馴染のニコラが死んで、そのニコラを蘇らせるために「錬金術」でホムンクルスを作ったテオ。しかしテオは、完全なホムンクルスを作り上げる前に自らもニコラと同じ病を患い、ニコラ自身ではなくニコラを作ることのできる自らのホムンクルスを作った。やっと形になったホムンクルスに自分の記憶を移行し、ホムンクルスには「テオ」として他の人間と対話させ、ようやくテオと等しく(=イコールに)なった時、ホムンクルスの「テオ」は「ニコラ」として目の前にいるテオとあまりに近くなり過ぎたために、歪みが生まれてしまった。同じ世界に同じ存在があることが禁忌であるように、淘汰という死をもたらすことになる。
 
心地よく騙されるといえばよいのか、混乱の中の唯一の真理に気づくというのか。2日目に配役が入れ替わった時に「何かが起こっている」ということがわかり、しかしそれと同時に情報のずれが起こり、物語が進むにつれてすべての真実が疑われ、何が正しくて何が誤りなのか判然としなくなる。明らかになることで物事が正しく理解されるはずなのに、逆にすべてを疑う必要に迫られる。とても不思議な感覚。今でもまだ騙され続けているのかもしれないけれど、終わってしまったらもはや確認する術がない。
 
前述したようにこの演出の肝は役者が日の区切りで配役を変えること。これは実際は同じ人物として存在する「テオ」と「ニコラ」の同一性を暗に示している。人間の頭は不思議なもので、少しの違いや違和感であれば誤差の範囲として意識することなく頭の中で処理するが、あまりに大きな違いに対しては明確な理由がないと納得できない。この「テオ」と「ニコラ」が交わる大きな違和感には、それが「オリジン」と「そのホムンクルス」であったということで一つの答えが出た。けれど、それがわかった途端「それではどちらが本当のテオ(オリジン)でそのホムンクルスなのか?」という疑問が生まれるが、曖昧なまま一つに収斂されていくことで終わりを迎える。 何もかもが疑わしい中で、唯一の真理は人は等しく死ぬということ。7日目のゆったり流れる時間のじんわりとした温かさと、行く先に待っている静かな終わりの冷たさが並行して続いていくような感覚がなかなか消えなかった。
 

▼cast 

※ここからは余談

ステラとルナ、どちらも違った良さがあるけど、ルナバージョンの方がキャスト的に思い入れがあるのでやっぱり繰り返すのはルナ。実ははじめ山口賢貴はキャスティングされていなかった。既にチケットも完売していた中での交代だった。降板が発表されてから本番までは2週間。それがどれだけのことなのか私には分からない。ただ、たった二人しかいない舞台の上で、ほとんど生身のような自分自身を曝け出すことはどんなに恐ろしいことか。それならわかる気がする。役者・山口賢貴は確かにそこにいた。その舞台の上で生きて死んだ。そして今日、24時を過ぎたら彼は居なくなる。

 

不思議だよな。

何がだよ。

今僕達がここにいることだ。

そりゃいるさ。

本当に?

おお、本当さ。

僕はここにいる?

いるね、もうくっきりといる。

君はここにいる?

見りゃわかるだろ。

それをどうやって証明する?

え?

僕達がここにいることの証明だよ。

 

二人芝居『Equal』の劇中より

  

思い出す気持ちが、一緒に泣いて笑って生きた証になったら*1 と彼と親しい人は言った。これから私たちに出来ることは、そうやってただ彼がここにいたことを思い出すことだけかもしれない。