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映画『メサイア外伝-極夜 Polar night 』

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STORY

し烈な情報戦を繰り広げる公安スパイ、通称サクラたちと対立しながらも、手を組むこともあった三栖公俊(中村龍介)と周康哉(玉城裕規)。以前は反政府組織「評議会」でテロ行為に関与してきた二人は、評議会壊滅後も究極の平等という理想を追求してきた。実父を殺害したことで心に傷を負った周は三栖のもとに身を寄せ、周を気遣う三栖は生活のためにある決断を下す。

映画『メサイア外伝 −極夜 Polar night−』 - シネマトゥデイ

REVIEW

公開初日に観に行ったのに感想書きそびれていました。物語の展開については大筋で楽しめましたが、細部はいつもの通り粗々で乗り切れなかった。オタクの想像力ありがとう。以下ネタバレします。

有賀と間宮

後述する三栖と周もそうだけれど、極夜は別れの物語を描いている。有賀と間宮は『鋼ノ章』で実質的な別れを経験し、この作品で実感した。

間宮はずっと死にたかった。自分を絶望させた世界を壊して、自分も一緒に消えてしまいたかった。その破壊欲求を糧にモンスターとして生きてきた。でもそれももう限界だった。「あの時、俺を殺してくれたら、こんなに悲しい思いをしなくて済んだのにな」と有賀に言った間宮。最後の最後まで、二人は理解し合うことはできなかった。でも、この言葉を聞いた瞬間、有賀は間宮を救う唯一の方法を知った。間宮にとってこの世界に生き続けることが自体が苦しみだった。ただ唯一の救いは、死ぬこと。サクラを救うことができるのはメサイアだけ。だから有賀は引き金を引いた。

有賀と間宮はもう少しお互いのことを考えることができたなら、理解し合うことができたなら、他のサクラのように「メサイア」を自分の生きる意味として見い出せたはず。救うことをではなく、生きることを「メサイア」の存在意味にできたなら、と思うけど、それはあり得なかったんだろうな。

『Messiah メサイア -鋼ノ章-』の感想より

昔書いた上の文章を読みながら、「ずっと死にたかった間宮が、有賀に殺されてやっとメサイアとして生きることができた」という自分でも支離滅裂なことを考えていた。肉体の消えた間宮は確かに死んでいるけれど、それを経たことで有賀のメサイアになることができた。一方で、有賀は間宮と加々美という存在を背負って生きていかなくてはいけなくなった。いよいよ『悠久乃刻』で卒業する彼等がどうなるのか。死という概念をも越えて、三人で歩んでいく未来を期待してしまう。そんな世界を私には考えきれないので、毛利さん西森さんよろしくお願いします。(他力本願)

三栖と周

生徒(サクラ)は、"チャーチ"について沈黙を守らなければならない。
生徒は、"チャーチ"を出れば二度と接触してはならない。
生徒は、任務に失敗した生徒を救助してはならない。
生徒は、友人や恋人になってはならない。
けれど、ただひとつの例外は存在する。
メサイア"を、唯一の例外として。

メサイア鉄の掟が上記だとしたら、最初から最期まで三栖と周はメサイアではなかった。初めからわかっていたことが明らかになったことが、こんなにも痛い。言葉を選ばずに言えば、彼らは自分の目的のために相手を利用し、自分が信じる道のために相手を捨てることも厭わなかった。そうしているうちに二人の目的は変容し、重なり、一致するようになった。確かに肉体の死は訪れたかもしれない。安っぽい表現になってしまうのがとても惜しいけれど、別々であった三栖と周は一体となったのだと思った。どちらかというと、周が三栖に溶けていったのかもしれない。それなのに残ったのは周だった。

周の不気味さと、三栖のまっすぐさはこのあとが気になる案件。

『Messiah メサイア -銅ノ章-』の感想より

三栖と周の関係は特に重要で、近しい人の死から完全な平等社会を目指すいわゆるステレオタイプのテロリスト三栖と、自分を認めてくれない父親(政治家)に対する反抗心でテロリストとなる俗人的な周は一見水と油で相容れない。周は三栖も含めて常に周囲を試している。どうして他人を信じられるのか。信じて何の意味があるのだ、という自分自身の疑問を他の人を使って確認している。そんな周に対して、三栖も初めのうちは互いの利害で付き合っていた。けれど次第に二人は自分自身に足りない部分を補いあうようになった。この二人はメサイアのような二個体間の信頼関係ではなくて、徐々に一個体を目指して集約していく感じの繋がり。

『Messiah メサイア -白銀ノ章-』の感想より

二人は自分たちの正義のために評議会に入り、評議会を抜けて、公安四係に入った。行動を共にはするが三栖と周の思惑は全く異なる。それでいて一緒にいるのは、「ベターハーフ」というより「片割れ」だからかなと思う。自分にはない部分を感じる相手であり、ない部分だからこそ大切にしたいというかそういう感じ。

『Messiah メサイア -紫微ノ章-』の感想より

今回の三栖と周は再会するようでしなくて始終切ない。でも今までのように上っ面でお互いのことを考えていないというのではなく、特に周がはっきりと三栖に信頼を感じていた。そこにはやっとわかり合えた兄との別れによって、精神が壊れてしまった周の孤独も影響しているかもしれない。周は手が届きかけていたものを失うことの多い。そして、自分に対する要求も高い。環境に失望し、他人に失望し、そして自分自身にも失望したら、それは絶望だ。彼には復讐が残されているからかろうじて生きているという状態かもしれない。

『Messiah メサイア -鋼ノ章-』の感想より

兄の堤嶺二を亡くし、総ての仇である父の堤貴也へ復讐を果たした周は本格的に生きる意味を失う。そこで、復讐のことだけ考えていた周の救いとなったのは三栖の「この国を変えたい」という革命への強い思い。三栖も周のことを引き受ける決心があるし、互いが互いの生きる意味(救世主)になった。サクラたちに比べて随分時間がかかったけれど、この二人がこうなることは定められていたことのような気さえする。二人の出会いのスピンオフがほしい。

『Messiah メサイア -深紅ノ章-』の感想より

自分の感想*1を時系列でみていっても、周が三栖に依存していることをこれだけ殊更書いていて驚く。果たして二つが一つに収斂していくことが必然だったんだろうか。それは分からないけれど、周にとって三栖が永遠になるために、三栖にとって周が永遠になるために、永遠にお互いを失ってしまうことが重要である気はする。

もしかしたら、これは三栖が周にかけた呪いであり祈りなのかもしれない。周が三栖を忘れないようにという呪い。周が復讐でなく革命のために行きていけるようにという祈り。総じて死は否定ではなく、生の肯定だなと思った極夜だった。

わかりみのある極夜の感想

aoionon.hatenablog.com