取り留めもない

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映画『ケンとカズ』

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STORY

ケン(カトウシンスケ)とカズ(毎熊克哉)は自動車修理工場で働きながら、裏では覚せい剤の取引をしていた。ケンは恋人の早紀が身ごもっており、彼女と生まれてくる子供のために人生をやり直そうと考えていた。一方、カズは母親のことで問題を抱えていた。カズは密売ルートを増やすべく、敵対グループと手を組もうと画策するも……。 

映画『ケンとカズ』 - シネマトゥデイ

REVIEW 

ユーロスペース、朝一、9時20分の回。到着するとすでに何人かがチケットを買うために並んでいて、その列の最後尾についたら、目の前に並んでいた親子に『チェブラーシカですか?』と聞かれた。言うまでもなく私はロシアの変わったサルではないので、質問の意図を理解するまで少し時間がかかったけれど、同日公開がスタートするのが『チェブラーシカ』だったらしく、あなたもそれで並んでいるのですか?という問いかけだったらしいと気が付いた。急なことだったので「違います」とだけ答えて、どうりで並んでいる客層が多様なのだなと納得。ゲートが開いて、入場が始まると、チケットを買っていったん外に出てきた映画俳優とすれ違った。確かに観にきてそうな人が、観ているんだなというそれだけの事実が面白かった。街中ならまだしも、映画館とか劇場に来てる芸能人には声かけられないなって思うのは、確度が高いからかもしれないなと思いながら私もチケットを買って席に着いた。

いろんな登場人物の視点から見ることができる。当然、観客としてもいろいろ思うことがあった。小さな街の個(小)の衝突と統合。いわゆる淘汰。人生の中で弱いものはいつしか消えて行くけれど、また生まれるのは新たな個。運悪く生き残ってしまったカズは一番この世に未練のなかった人なんじゃないかと思う。ただそれも今だけの話で、彼だってロクな死に方はしないだろう。途中、ケンとカズは「ホモなのか?」と茶化す場面がある。その意図はそれほどまでに、二人は一緒にいて、お互いの人生を背負っているように見えたということなのだけれど、実際は「そういう関係」ではない。ケンには愛する恋人の早紀がいて、もうすぐ子供も生まれてくる。今までの汚れた人生をリセットさせて生まれ変わろうとするケンの物語と言うこともできる。でも、そうやって生まれ変わろうとするケンを見て、カズは自分が置いて行かれるような、捨てられるような気持になる。カズは自分自身が「使われる側」で「頭も良くないし、人望もない、ただ暴力に任せている人間だ」ということには気が付いていた。一方のケンには恋人もいて、可愛がってくれる兄貴分もいて、慕ってくれる弟分もいた。おそらくケンは、刺激も快感もないけれど、ゆっくりとじんわりと幸せを感じる「普通の人生」を送ることができるだろう。そんなケンを縛り付けた唯一の言葉が「お前がここ(覚せい剤を売る仕事)誘ったんだろ?」欲しいものがどれも手に入らないカズ。幸せのために必要なものをすでに持っているケン。そんなケンを汚れた世界に縛り付けることができるのがカズ。カズはケンを羨んでいたのか、憎んでいたのか、それともその両方なのか、はっきりとは分からない。でも、依存と罪悪感があるかぎりこの二人には明るい未来なんてやっては来なかったんだろうなと思う。

先に書いたように、登場人物の視点から見てもまたいろいろ考えられる。特に自分自身が贔屓している役者だからというのもあるけど、藤原季節演じるテルとして考えた。テルはケンとカズと同じ自動車整備工場で働き、覚せい剤の売買にも関わっていた。ことの重大さにあまり気が付いておらず、ケンやカズと居ると楽しいからというような気持ちで犯罪に加担しているが、その関係や居場所が自分の知らないところでどんどん変わって、最後につながっていく。好きな人たちが、好きな場所が進んではいけない方向に進んでいてもどうすることもできない。そこではもがくことさえできない。それが何とも苦しかった。

テル役は元々、藤原季節演じるテルとは全く違う雰囲気をイメージしていましたが、藤原季節が強引に自分のイメージにしていました。

『ケンとカズ』パンフレットより

パンフレットを買ってサラッと読んでいたら、監督がこう書いていた。好きだなと思った。

 

閑話休題黒沢清アカルイミライ』を思い出したからまた観ようかな。

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