取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

苦手な俳優のはなし

※このエントリは特定の俳優に対して非難するために書かれたものではありません。あくまでも、自分語りに過ぎないので仮名の俳優が誰なのかそう言ったことは重要な問題でないことをご理解ください。

 

苦手な俳優がいる。その人を仮に田中とする。田中はここ2年くらいの間でテレビや映画で活躍するようになった若手俳優だ。事務所は大手ではないものの、有名俳優が何人かいるしっかりとしたところで、俳優の意見を聞いてくれるところもあれば、育てるためにあえて「したくない」こともさせてくれるところだと私は認識している。田中には同じく次世代を担うと言われている俳優、ミュージシャン、モデルなどの同世代の友人が沢山いる。田中の好きな映画は鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』で、好きな音楽のジャンルはブリットポップBritpop)らしい。そして、同業者から愛されている。

私はそんな田中のことが苦手である。

どう考えても彼自身に問題はない。むしろこっち側の問題だ。なんで苦手なのか、それは下記のような理由である。

  • 男である
  • 俳優である
  • 成功しそうな兆しがある
  • 人に愛され友人が沢山いる
  • (私から見て)趣味が良い
  • そして何より、自分と同じ世界を生きている気がしている

つまり、私はこの同世代の青年・田中が羨ましいのだ。彼と自分を比べ、完全に敗北している感じがして憎らしいのだ。「なりたい人」や「なりたい顔」という言い方をして日々いろんな人を羨んでいる私ではあるが、そんな対象は自分と違う世界にいると思っているから純粋に「叶う筈もない夢」としてごちゃごちゃ言っているだけである。けれど田中への憧れを口にしたが最後、私は自意識の気持ち悪さに気付いて死にそうになる。だから苦手だと言って必死に遠ざかろうとしている。

 

こんな他人にとってはどうでもいい自意識の歪みに気付くと同時に考えたことがある。私は自分が「かわいい」と思うものが好きだ。この「かわいい」は「可哀い」ということだ。つまり「弱くて脆くて儚い」と思うものが好きだということだ。少なくとも推しにはこの「かわいい」を感じている。この感情を抱けないものに対しては、本当の意味で熱中は出来ていないように思う。メジャーになってしまった途端、興味がなくなる。メジャーになれば、多くの人が認知していたり、好きだと公言していたりして、成功を手に入れているものに「可哀い」は感じられない。そこで、「特定少数が魅力を見い出すマイナーコンテンツを愛しているのだ」と言い訳してみたところで、本当は「売れていないもの・ひと・ことを好きな自分が好き」ということでしかないのかもしれない。本当に性格の悪い人間だと思う。歪んでいるというか90度直角に曲がっている。

 

は~自分を卒業したい。そして、生まれ変わったら美少年のバイセクシャルになって世界を征服したい。