取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

人の話を聞くこと

自分はオタク気質で、コレクション癖があって、こだわりが強い人間だと自認している。「好きなもの/こと」への思い入れはできればほかの人に負けたくないし、それはいいことだと思う。同担拒否とかはないけど、ほかの人の熱が自分より高いと「お呼びではないかな」となって黙る。でも、本当は自分の話を聞いて欲しくてツイッターやブログをやってる。一方的に書いてる気がすることも多いけど、コメントもらったり、スターもらったり、引用とかリンクを共有してもらえるとめちゃくちゃ嬉しい。

たからこそ、「人の話を聞くこと」が得意じゃない自分があまり好きではない。これは一部本当で一部嘘。というのは、熱量のあるオタクの話は大概楽しいし、こちらがフォローせずとも話は続くし問題がない。タイヘンなのは、オタクではないファンの人の話を聞くこと。リア恋か否かではないと思う。どちらかというと、ウィキペディアの情報程度も持ってないところで、「なんか好き」と言われるとオタクでは話を拡げてあげられない。見ているとことか、気になることとか、知りたい情報が全然違うから、合いの手と答えがちぐはぐしちゃう。

例え、クソオタに話されても全く興味のわかないことってあるけど、もうそんな時は自分も好きなていでいる。「この◯◯ちゃんかわいい」ってメッセージきたら、「やばいかわいい」って言う。そうしてるうちに好きになるんだよね。すごいよこれ。今はリオオリンピックをきっかけに、バトミントンの女子ペアの片方のオタクになった人から毎日メッセージアプリで画像が届くけど、なんかかわいく見えてくるもん。「グラタンが大好物」とか「私服がダサい」とかそこら辺の人より物知りになった。まぁつまりは、人の話もちゃんと聞きたいし、上手く拡げられるようになったらもっと楽しいだろうなと思う今日この頃です。

NAKA雅MURAは何やってるんだろう

ジョジョの実写映画化、ついに発表されましたね。

warnerbros.co.jp

ご存知の方も多いと思うんですけど、私が人間の中で一番推してるのが三池崇史監督で、自伝とか買って読んでるくらいには好きです。

監督中毒

監督中毒

 

でもまあ、原作漫画ファンとしては悲喜交々ですよね。だって『テラフォーマーズ』作った人だもんね。信用してって言っても無理だよね。個人的には、また三池監督×伊勢谷友介という強めのSキャラがタッグを組むことで生まれる、「宗教めいた美学」が見られるかもしれない~と思って期待してるんです*1。それに真剣佑も出るし。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

上のブログの方も書いてるけど、三池監督は本当に多作で、「全部つまんない」って言えるほどそもそも観てる訳じゃないんだろうし*2、Vシネ寄りの作品は自由度が高くてどれも面白いと思う。最近の漫画実写化の作品だって、どれにも並々ならぬ謎の執着心をもって作ってる感じあるからついつい映画館に観に行っちゃいます。そんなこと言ったって観ない人は観ないし、内容もアレなのはアレだし、「どうしても観て」とは言わないけど、一応、念のため、私のオススメは下記です。

バイオレンスよりも、三池監督のホラーが好きなのに、そういう作品はめっきりなくなったな。500万くらいで雑に作って~という願望がわき上がってきます。というのはひとまず。

表題に戻って、NAKA雅MURAの最近の動向を知ってる方がいれば教えてほしいくらいなんですけど、みなさんこの方ご存知でしょうか?映画とかドラマとかの脚本家で、『どろろ』や『ドラゴンヘッド』などの他に、『46億年の恋』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』『QP』『彼岸島』を手掛けてます。

NAKA雅MURA - Wikipedia

ウィキにもあるように、三池監督と仕事をすることが多いというか、三池監督が面白がって一緒に仕事をしていた脚本家さん。ジョジョもこの人だったら、万事最高なのにな~って思ってます。この方の脚本の特徴としては、神経質で潔癖な美学。死ぬことと隣り合わせの美しさ、まさにカタルシスというところでしょうか。そこがどうしようもなく好きです。その他の脚本家で三池監督と組むなら佐藤佐吉もいいけど、やっぱり久しぶりにNAKA雅MURAの脚本で観たい。だからと言って、万人がいいと思うかどうかは定かではない。でも、少なくとも楽しめる作品になりそうだって思えません?

ジョジョの前に『土竜の唄 香港狂騒曲』と『無限の住人』がまだ公開されるんだった。忙しすぎじゃないの?三池おじいちゃんには長生きしてもらいたいんだから本当に。それでもって、最期の方で今村昌平が撮れなかった『新宿桜幻想』*3を、NAKA雅MURAと一緒に作ってほしいな*4と思ったりするのでした。

*1:『スキヤキ・ウエスタンジャンゴ』参照 http://bd-dvd.sonypictures.jp/sukiyakiwesterndjango/

*2:私も全部は観られていない。

*3:原作『遊郭の少年』作・辻中剛

*4:前述した『監督中毒』にこの作品に関するエピソードが書かれている。

はじめて手紙を書いて厨プレをした

そもそも「厨プレをする」という言い方であってるのだろうか。まぁそれいいとして、タイトル通りはじめて手紙を書いて厨プレをした。私自身が推しの名前を書かないで内容を伝えるブログから、その推しを読み取るのが好きなのでその書き方で。ファンイベントに行くのは二回目だったけど、その前のはその人のキャラクターが強く出たイベントで、あまり他と比較できないと思ったので、ベンチマーク的なものはなしです。

手紙について

実社会でもほとんど手紙なんて書かないんだけど、さらにファンレターは初めてだったから、そのことを前置きしたうえで、どうしてファンになったのか、ファンとしてどういう想いでいるかのあたりを中心に。自分の思ったことを本人に伝えるのが苦手なので、基本的には相手が言われて嬉しいだろうなということを想像して書いた。ここら辺はエゴですが、「ふーんそうなんだ」で終わるのは厭だったから、この点は気を付けたつもり。あとは、同封したプレゼントについて(後述)。手紙を書いていて思ったけど、作品ごとに感想と共に書くか、こういうイベントごとに書くかだとしたら後者だなと。理由は今回書いてしんどすぎたから。

厨プレについて

映画衣裳を中心に手掛けるあるスタイリストさんの作品集にしました。いろんな意味を込めているのですが、その一つに今後その人の衣裳を着てくれる時があればいいなと思っています。大衆とはあまりセンスが合わない人間ですが、本の選書には割と自信がある。どうでもいいですね。

イベントについて

  • ちょっと調べればすぐわかる、とあるファンイベント。午前の部。
  • 他の沼で、バクステ(ハイタッチ&写真撮影)に積んでる人の話を聞いていたので、こんなに簡単に握手&チェキ撮影ができて良いものなのかと不安になった。
  • 事務所の二枚看板のうちの一人なので、後輩やらなんやらが全力でお手伝いに来てた。
  • 双子のホスピタリティはディズニーランドのキャストのように高かった。
  • 女の子のように可愛らしい18歳は、次の作品にかけて「ご入校お待ちしております」って言ってくれたんだけど、そんなことを真顔で言われるとすごく良い。
  • 直属の後輩が飛び入りゲストで出てきて、ハイパープロジェクション演劇の宣伝して帰っていった。そのあとの動画内でも宣伝してった。
  • 親友のシンガーソングライターさんが登場し、一緒の秦基博さんの『僕らをつなぐもの』を歌う。去年のイベントでの約束だったらしい。それまで高校時代の話とか、最近のお互いの活躍を見て頑張ろうってなってることとか話してたから普通に感動した。*1
  • 特別ゲストはついこの間まで同じ舞台に出ていた同年代の先輩俳優(二歳年上)。その舞台の北九州公演に行った時、ホテルのロビーで急に「(俺たち)同性婚アリだよね」となった*2というエピソードを話した時が会場のハイライト。
  • 「今後、発表することもあるから」と言い残していかれました。

この後の握手&チェキ撮影で、私が推しに言いたいこと二つのうち一つは言った。もう一つは、以前別の人に言ったらぽかんとされたので自重しました。ブスでも身なりは何とかなる教の信者なので、そこだけは抜かりなく行ったところ「お洒落ですね」と言ってもらえたのでもう満足です。

なんていうかファンイベントってすごいね。元気になる。推しはお疲れさまって感じなんだけど、明日からも頑張ろうって思った。ありがとうございました。いつまでも彼の居笑顔が絶えませんように。そしてはやく手に届かないところに行ってほしい。そう思いました。

 

*1:でも、本音としては二人の高校生活がキラキラしすぎてしんどかった。私だって秦基博とか清水翔太が懐メロである高校生活を送りたかった。

*2:理由は一緒にいて楽だから、最終的に一人だったらということらしい。

舞台『BLOOD RELATIONS ~血のつながり』

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STORY

米国犯罪史上最大級の迷宮入りミステリー“リッヅィー・ボーデン事件”
事件の背景となる人間ドラマを演劇的視点から鋭く抉る衝撃の問題作!

1892年米国ニューイングランド地方の田舎町で豪農夫妻が斧で惨殺される殺人事件が起きた。
警察は第一発見者である次女のリッヅィーを疑い逮捕するが、状況証拠しか手掛かりがなく無罪となり釈放される。
1902年、事件の真相を探るべくリッヅィーの友人である一人の女優が彼女と共に10年前の事件を検証してゆく。
果たして、リッヅィーのなかに潜む闇の深淵に近づくことはできるのか!?

ストーリー of スタジオライフ公演THE OTHER LIFE Vol.9『BLOOD RELATIONS ~血のつながり~ 』2016年

REVIEW

登場人物のメインが女性の作品ではあるけど、総てスタラジオライフの男性俳優が演じていた。私が見たのはDoomバージョン。ちょうど新宿では町全体でお祭りが開かれていて、途中祭囃子が気になった。

殺人の疑いをかけられた、リッヅィー・ボーデンという女性の周りで起きたことも、彼女が起こしたことも、ただただ恐ろしく、救いようがない。ただ、ひとたびこれみついてリッヅィーが語り始めると、哀しい物語になる。これが彼女の魅力であり、彼女が無罪になり得た理由なのだ。直接物語の中で描かれることはなかったけれど、彼女自身、自らのアイデンティティーを喪失していたのではないかと思う。自分自身が何を求めて、どうなりたくて、何を愛するのか。父親を一人の男性として愛していたようにも見えたし、恋愛対象は同性である気さえした。正直、彼女以外の人物になにひとつおかしな人はいない。皆、当時の標準であり、ともすれば賢い人たちだった。だからこそ、社会や時代に適合できなかったリッヅィーは苦悩し、狂気を得た。もっと、旧時代でリッヅィーをはっきりと糾弾する世の中であれば、家政婦も陪審員も同じようにしたか分からない。今なら、リッヅィーに詳しい精神鑑定がされ、もう少し真相が明らかになったかもしれない。総ては時代のはざまに飲み込まれたようだった。

主演の青木隆敏さんのリッヅィーは落ち着き払っている姿と、狂気を発散している姿のコントラストが素晴らしかった。リッヅィーの友人の女優を演じた、久保優二さんはとても美しかった。女装に映えるお顔。でも、キャストの中で一番記憶に残っているのはリッヅィーの継母のアビゲイル・ボーデンを演じた石飛幸治さん。迫力があって、俺と同時に女の哀しさのようなものも透けて見えて素敵だった。全継母役のお手本になりそうな感じ。

ところで、今回の舞台ではそれほどリッヅィーと女優の関係性にはそれほどフォーカスされてなかったけど、ここがより印象深くなるとまた変わるのではないかと思った。

 

参考レビュー

enterstage.jp

舞台『アヒルと鴨のコインロッカー』

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STORY

「ずっと誰かが来るのを待ってたんだ」

引っ越してきたばかりの大学生・椎名は隣人の河崎と名乗る男にいきなり本屋強盗に誘われる。
ひきこもりがちな外国人のドルジ、ペットショップを経営する麗子、
そして二年前に同じアパートに住んでいたという琴美……
彼等の奇妙な関係と隠された謎が明らかになる時、過去からつながる物語は終幕へと向かう。

舞台『アヒルと鴨のコインロッカー』

REVIEW

映画『アヒルと鴨のコインロッカー』を観たのは単純にキャスト目当てだった気がする。

アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]

アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]

 

そのときもめちゃくちゃ泣いた。今回も泣いた。勝手な想像だけど、舞台を観る人のほとんどが映画か、本を読んでいるんじゃないかと思う。ちなみに私は本は読んでいない。だから、原作でこの叙述トリックをどんな風に表現したのかわからない。だから、果たして舞台で表現できるのだろうかと思った。そんな心配は杞憂だったわけだが。

映画と話に大きな違いはなかったけど、舞台の方が病気や人種についての「差別」や、ドルジと琴美と河崎の「友情」にフォーカスしていたなと思う。それ以外にも、取り上げて面白いところはいくつもあるのだけど、そういう意味では「アヒルと鴨」に忠実だなと。

映画を観ている時は、「松田龍平を演じる瑛太」にドキドキしていた節があったから、キャスティングに対してフラットな状態で観られて良かった。あと、映画はあえてふわっと静かな雰囲気だった。その雰囲気の中で、ドラマティックな物語が展開していくのが面白かった。舞台はどちからというとシリアス&コメディでメリハリがあって、内容を知っているからこそ冗長に感じがちな回想部分も、トントン進んでいった。

人生って本当に一瞬。それぞれ一生懸命生きていても、次の瞬間に何が起きるかは誰もわからない。だからどうしろとかこうしろとか言わないところがこの話の素敵なところだと思った。

主演の多田さんはここ最近ナミヤ雑貨店の奇蹟』『天球儀』と立て続けに観ている気がする。私が舞台にハマる前に想像していた「舞台の人」はこういうイメージだった。それは今も変わらない。役としてのイメージがちゃんとありつつ、自分自身の魅力や個性が出ている。そんな俳優さん。細貝圭さんも割と見ている方。今回の劇場のステージに、細貝さんが立つと、めちゃくちゃ狭そうだなって思った。山田ジェームス武さんは、『セブンデイズ』で観たけど、やっぱり映像と舞台じゃ雰囲気違う。こんなに愛くるしいキャラクターの人だとは思ってなかった。あとは、渡邊りょうさんはつい先日悪い芝居の『メロメロたち』で観たばかり。関西の人だからなのか、山浦さんみたいに飄々とした人だなというイメージがある。みんな、何かで観ている人たちばかりだったけど、カテコで細貝さんが言っていた通り、集まってみれば新鮮な組み合わせばかりで、不思議な感じがした。そもそも、今回の主催が文化庁の機関というのも面白い。

文化庁委託事業 平成28年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業
日本の演劇人を育てるプロジェクト 新進演劇人育成公演 演出家部門

舞台芸術分野の優れた新進演劇人で発表の機会に恵まれない者に、発表の機会を提供することにより、新進芸術家の育成を図る事業です。

『アヒルと鴨のコインロッカー』

別に良いのだけど、この原作をこの演出家でとこの制作で、この俳優たちを使いながらやるにも関わらず、「舞台芸術分野の優れた新進演劇人で発表の機会に恵まれない者に、発表の機会を提供する」とか言われると、本当に「若い」人は太刀打ちできないよな。それだけ、年長者と権力者の多い業界なのかな、演劇界は。分からないけど、そんなことを思ったりした『アヒルと鴨のコインロッカー』でした。

 

原作伊坂幸太郎(創元推理文庫刊)

脚本・演出:ほさかよう

出演

多田直人 清水由紀 細貝圭 山田ジェームス武

実川貴美子 馬渕史香 渡邊りょう 免出知之 土井玲奈 首藤健祐

私の好きな2TOP(ツートップ)

日曜9時の『仰げば尊し』がついに終わってしまいました。物語はありきたりだし、ノベライズ本なんて誰が買うんだって感じでしたけど、俳優さんたちがキラキラ輝いていて、ただただ視覚から心に潤いを与えてくれたドラマでした。特に村上虹郎と真剣佑は「2TOP」として私のTLを賑わせていました。で、思い出したんですけど、この二人を見ていると、かつて好きだった(今も好きだけど)二人を思い出すんです。

それは、松田龍平安藤政信です。

私の中で、この二人はどんな活きの良い俳優をぶつけられても揺るがない確固たる地位を築いています。なんていうか、芸能サラブレッドで高校中退した松田龍平北野武に見いだされた工業高校出身の安藤政信ってだけで、とっぽく*1て最高。それを時代は気づいていたのか、一時期連続して共演していたり、いわゆる黄金時代だったんですけど、安藤くんのほうが戦線離脱を図ったためにその後はめっきり共演がない。ください。それまで、過去作でなんとか生きつなぐので。ということで、過去共演作を振り返ってみた。

昭和歌謡大全集(2003年)

www.youtube.com

イシハラら6人の若者は共通の話題も趣味もなく、なんとなく集まっては深夜にパーティを行い、そこで昭和の歌謡曲を歌うのを楽しみにしていた。ある日、仲間の一人・スギオカが路上で女性を殺害する。殺されたのはヤナギモトミドリ。彼女の仲間であるスズキミドリら5人のオバサンたちは同じミドリという名前からミドリ会というグループを作っていた。仲間を殺されたミドリ会は現場に残された遺留品から犯人・スギオカを特定し“復讐”を決行する。後日、スギオカが殺害された現場を見物していたイシハラはスガコという目撃者の女性から事件の一部始終とミドリ会の存在を知らされる。スギオカの復讐を誓う若者たちは怪しげな金物店で拳銃・トカレフを入手。こうして、若者とオバサンたちの壮絶な復讐劇が始まった。

 昭和歌謡大全集 (映画) - Wikipedia

 主人公のイシハラが松田龍平、スギオカが安藤政信。有望な若手俳優が大勢出る群像劇(過激)の例として思い浮かべるほど好きな作品。いい感じにみんな気が抜けてるところが良い。かといってライバルでもあるから仲良すぎることのない空気感。その中でもぽわぽわしてる松田龍平とぎりぎり生きてる安藤政信がサイコーだなって思います。あとなんといっても安藤くんのビジュアルが良くてな。松田兄は少年だし。すごい。これは同じ次元ですかという感じです。

「KARAOKE TERROR」(2003) MakingOf Part 3 - YouTube(俳優たちの座談会動画)

『昭和歌謡大全集』出演者対談 - シネマトゥデイ (二人は不在。村田充が「安藤くん」「龍平くん」って呼ぶのが最高)

松田龍平は他人に対して興味がないし、安藤政信はコミュ障っぽいのに好きな人には一直線だからなんていうか、バランス悪いんですよね。この時あんまり接点ないからそこまで感じませんけど、共演が増えていくにつれて気持ちが一方的だな~って思う。決して松田兄も安藤くんのこと嫌いじゃないんだけど、そういう気持ちに関して安藤くんがニュートラルすぎるので引いてる感じ。それが良い。

ギミー・ヘブン(2006年)

www.youtube.com

両親と死に別れ、養父母も次々に不審死をとげる麻里(宮崎あおい)は共感覚の持ち主。盗撮サイトを運営する新介(江口洋介)は、共感覚者のために恋人や親友にも理解されない孤独を抱えていた。ある日サイトで異変が起きて以来、彼の周囲で不可解な事件が起こり始める。

ギミー・ヘブン - Wikipedia

この作品では直接的に関わり合いのある役ではないけど、宮崎あおいに人生を狂わせられる二人つながり。この作品中は結構安藤くんは宮崎あおいちゃんにことあるごとに「好き」って言ってて*2さすがにどうかなと思った。

――豪華なキャストも話題ですが、共演者の皆さんについて感想を聞かせてください。

「江口さんとは、あまりお話する機会がなかったんですが、大きくて優しい方だなと思いました。安藤君とは、初めて会ったときに現場で2人だけでお弁当食べていて、後でメイクさんとかスタイリストさんとか来るのかと思ったら誰も来なくって「気まずいなぁー、何でみんな来ないんだろう」って話していました。安藤君も(松田)龍平君もカメラ好きで、龍平君が寝ている姿を龍平君のカメラで撮って遊んだりしていました

ギミー・ヘブン インタビュー: 宮崎あおい インタビュー - 映画.com

めっちゃかわいいな…ごめんななんか疑って…妹みたいな感じだったんだよね…今でこそみんな日本を代表する俳優さんだけど、みんな若手と呼ばれる時があってって思うとぐっとくる。安藤くんが緊張しいなのは今でも変わらないけど。だからこその絶妙な距離感最高。

46億年の恋(2006年)

www.youtube.com

監獄一の暴れ者、香月(安藤政信)が雑居房で有吉(松田龍平)に首を絞められて死亡する。彼は全面的に自分の罪を認めていたが、警部(石橋蓮司)と警部補(遠藤憲一)は事件の捜査を開始。偶然同じ日に殺人の罪で入所した2人の少年について聞き込みをするうちに、獄中で起きた奇妙な殺人事件の謎が深まっていき……。

映画『46億年の恋』 - シネマトゥデイ

三度目の正直でがっつり二人の物語となった作品。監督は三池崇史。原作は漫画原作者・小説家・空手家でもある正木亜都。この制作陣だったらどう考えてもVシネができるはずなのに、まさかのラブストーリー(と思ってる)。一種の信仰の物語ということもできるんだけど、暴力的な安藤政信と、少年性をはらんだ松田龍平が同じ画面内で会話をしているだけで尊い。すごい。推しが出てくるたびに演じてほしい二役。

作中で安藤政信が演じる香月史朗を、一途に愛する有吉淳を熱演した松田龍平が、「相手役が、かっこいい安藤くんだったので、そのまま演じられました」と話すと、安藤も「いや、松田くんもあらためてかっこいいし、足が長いなと思いました(笑)」と奇妙なほめ合い合戦に……。

松田龍平、安藤政信、同性愛に抵抗なし! - シネマトゥデイ

松田:男は、女性に対して愛情とか性欲とかあるんですよ、ごちゃごちゃと(笑)。でも、男性に対してはそれがなくて、愛が100%に達しちゃったら、ごちゃごちゃも、まったくなくて単純にその人のことを好きか、その人そのものになりたいかのどちらかなんですよね。それって女性に対してはあり得ない。だから、どちらかの役を女優さんが演じていたら、成立しない話なんですよ。そういう意味では、相手が安藤くんでよかったと思いますね。 

『46億年の恋』松田龍平、三池崇史単独インタビュー - シネマトゥデイ

 これ何回も引用しちゃう。文字面だけでありがたいお言葉。

 一応、感想も書いたので貼っておきます。

aooaao.hatenablog.com

悪夢探偵(2007年)

www.youtube.com

現場勤めになったばかりの女刑事・慶子は謎めいた事件を担当する。夢を見ながら死んだようだという証言と、死者たちが死ぬ間際に「0(ゼロ)」という謎の人物と話したことを示す携帯電話の発信記録から、事件を解く鍵は夢にあると推測。他人の夢の中に入れる能力を持つ悪夢探偵の存在を知った慶子は、彼に協力を求める。

悪夢探偵 - Wikipedia

怒涛の共演期間のラスト作品、そして現段階でもこの後の共演作はない。ネタバレだけど、安藤くんってもともと最後に死ぬパターンがめっちゃ多い。松田兄と共演するといつも可哀想な死に方してて最高だなって思う。総じて大した絡みがなくても画面が死相に満ちて、色っぽくなるのがこの二人のコンビの好きなところ。あと、ホラーとかミステリーの世界の中にいて命削ってるのめっちゃ良い。助け合わないのはなお良い。この2TOPじゃないけど、『伝染歌』の松田龍平伊勢谷友介も最高だし、『スキヤキ・ウエスタンジャンゴ』の伊勢谷友介安藤政信も存在が性的。

 以下、ツーショ写真。

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もうすでに二人とも娘がいます...つながる麗しい遺伝子...嗚呼。

少なくともあと一回、いや年一くらいで共演してほしい。そうでなくても一生私の好きな2TOPです。

「推し」と周辺のアレコレ

衝動的に書いておきたいと思ったのでひとまず。ほとんど未来の自分に向けたメモ。

スタンス

私には「推し」と信じている人と、自然と「推し」ている人がいる。ただ、どちらにしても、必ず現場に行くわけじゃない。そこはあくまでも観たいものを観たいだけというスタンスなので、多分、他の人の熱量に比べたら風が吹くと飛んでいくレベル。

二人の推し

信じている人は、もしかしたら今の仕事が終わったら俳優やめてしまうかもしれないと常に思いながら推している。それは、彼がいる環境が割とそうだから。月末、月初の正午のアメブロからの「おしらせ」通知がこわい。でも、あまりにもこの状況に慣れ過ぎて、それも仕方ないかなと思うようになった。世の中思うようにはいかない。あんまり自分の好きじゃない作品に出ていようと、そんなのは大きな問題ではない。仕方ない、仕方ないと繰り返している。それでも、私は彼を見ていろんなことを知った。舞台を観るようになった。今となってはどのポイントでそうなったのかはっきりと思いだせないけど、それだけで良いと思っている。いつかが来るとしても、私は笑顔で見送る準備ができている。たぶん。

もう一人、自然とそうなった人は、今まで上記のスタンスが普通だと思っていた、ある意味、仏のようなスタンスを目指していた私にとって、与えられるものが多くて、恐れ多くて、畏怖の念さえ感じる人。辞める心配もしてないし、どんな仕事でも彼の魅力を十分に発揮し、また成長して終える。ファンの期待に応え、欲しい言葉をくれる。コスパが良く、至れり尽くせりの冥利に尽きるなって人を好きになるとちょっと不安になる。だから、自然と推すようになったんだと思うんだけど、どうしてこの人だけそんな風になるのか不思議で仕方ない。閑話休題、お誕生日おめでとう。

好きなポイント

二人に共通するのは、 本心が読めないところだと思っている。頭に浮かんだことをすぐに口に出さない。考えつくしているかは別として、キャラクターを考えて発言し行動している。決してふざけないというわけではなく、若干小難しいというか面倒くさい人。私が推したくなるのはそういう人。

推す方法 

他のファンの方はどうなんだろう。私は自分が行動するよりも、他の人に働きかけて動かすことを上位と考えている。簡単に言えば、推しのファン(分母)を増やしたい。例えば、会場に客が10人以下なんていうのは絶対無理だし、それならチケットが取れない方が幸せに感じる。だからブログを書くし、Twitterで叫びまくる。

スタンスというより、好きなポイントが大切。ちなみに、推しだと信じている人を推している人のブログに出会ったことがほとんどない。彼らの集団自体を箱推ししている人はいるけど、何年選手という雰囲気で、今更語ってくれない。少し寂しい。ファンは多いはずなんだけどなぁ。自然と推すようになった人は、いわゆる界隈で人気な人だけど、ファンと最終形という意味での便利な用語の「オタク」ではなく、推しについてあーでもないこーでもないと余計なことばかり考えまくって1日終わるような「オタク」は少ない気がする。ガチ恋という枠自体が苦手なわけではないけど、結局本能的に「好きだ」「かっこいい」と言われても、私に伝わらない=特定多数に伝わらないので、そういう意味でのコミュニケーションがとれないのだけは勘弁してほしい。多分この面倒くささは、私の志向性が推しではなく、ファンになり得る人たちに向いて、その人たちに推しの良さを伝えることだけに特化してしまっていて、それ以外のものに価値を感じていないからだと思う。いわゆる「自分」と「自分が好きなもの」だけ認めているタイプです。

伝えたいこと

前述したように、基本的に推しには顔が向いていない。だから上手く便箋も使えない。サイリウムもペンライトも振れない。掛け声もかけられない。でもいつか私に合った方法が見つかって、そのときにもまだ推しが舞台上にいれば、「私より1秒でも長く幸せに生きてほしい」ということだけは伝えたい、と思う。