取り留めもない

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ひとまず、谷崎潤一郎と『クロードと一緒に』について

 突然だけれど、谷崎潤一郎にとって大正時代はスランプ期と言われている。でも、私は谷崎潤一郎の大正時代の短編小説が彼の作品の中で一番好きだ。それらは『春琴抄』『痴人の愛』『卍』のような力のこもった緻密な作品ではない。多くの人は、谷崎について詳しくないし、知ってはいても上記の作品だろうと思うし、それがどんなものなのか想像もつかないと思うが、この時代、谷崎は外国に憧憬を感じオリエンタリズムをもって日本や周辺アジア(中国メイン)を舞台に幻想的な作品ばかり書いていた。そんなことを卒論で書いた気がする。迷走していたといわれればそれまでだと思う。結局何を言いたいのか定かでなく、ただただ大きく広げたファンタジーの風呂敷をきちんと畳むこともできないまま引きずっているようなものが確かに多い。中絶した作品も多かった。でも、それらの作品の中で、谷崎潤一郎は本当に伝えたいことは直接書かないまま、彼の魅力である言葉と文章の表現で、内に秘めたる感情を爆発させているのをしっかりと感じた。その人間らしさと美しさが私は愛おしくてたまらなく好きだ。

 

 なぜこんなことを改めて思ったかというと、Lecture-Spectacle「Being at home with Claude ~クロードと一緒に~」を観たから。内容に似たところがあったわけではないし、ここでそういう話をしたいわけでもない。ただ、この作品を観た時の感じ方・思考の仕方が谷崎の作品を読んでいる時ととてもよく似ていると思った。こういう理詰めで理解することができない、柔らかい薄いビニールに包まれた炭酸水のような、不安定で危うい作品であればあるほど、感じ方・捉え方の自由度は高まって、感想や感情が陳腐にはならず個々人の独特なものになっていく。基本的にはそれらを誰かと共有したり、互いの感じ方を分かりあう必要はないし、まずできない。そもそも、誰がどう評価しようと関係ない。たった一人自分だけのものと感じられるものを自分の中に生み出してくれる作品が、私はどうしようもなく好きだ。『クロードと一緒に』に関しても、自分が他の人と全く異なることを考えているかもしれないし、多くの人と重なるところもあるかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。自分がこの作品が好きで、なによりも感情を突き動かされたことが大切なのだとはっきりと思った。ということで、感想はまた後日。書ける自信はあまりない。

 

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日本幻想文学集成 (5)

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