取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

高橋龍輝がどうなっていくのか見ていたいと思う。

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幕末太陽傳』を観てきました。

森山未來の『 ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』、石原さとみの『ピグマリオン』に続いて人生3回目の観劇(すいません『ドン・ドラキュラ』行ってました。そうですLDHオタでした)。これだけ「俳優が~」「舞台が~」と言っている人間ですが、たかがその程度ですいません。『ヘドウィグ』は森山未來のダンスを、『ピグマリオン』はゼミの繋がりのために行った訳ですが、今回は、高橋龍輝その人の舞台上の姿を観るためにチケットを買いました。

と前置きはここまで。

作品としては、舞台自体が劇場全体で、客席もステージで、人間の生きている姿が現実と虚構の中に表現されている躍動感とエネルギーの溢れた作品でした。おそらく、自分のように「舞台とはこういうものだ」というのがない人間としては、ライブ感があって、目に魅力的で、役者が動くたびに風を感じる作品の方が、面倒臭いあれこれを捏ねて何か言う必要がなくて楽しめる。舞台転換から衣裳チェンジから総てが計算されているのに、そこから生まれるカオスに飲み込まれていくような心地良さは舞台にしかないなとまで思いました。今まで映像(特に映画)至上主義だったので、こう舞台の良さを知ってしまったら抜け出せないと思わざるを得なかったです。あと、ちょうど座っていたE列が通路を前にした席で、目の前を役者が走って行ったり来たりするもんだから、たまにぶつかったりなんかして楽しかったなというミーハー欲も満足させることができました。

そして、表題の件。

今や何がきっかけで高橋龍輝のことを追うようになったのか覚えていないんですが、私は彼のON/OFF感がとても好きなんです。勝手なことを言うようですが、ステージに立っていない時の彼は「何を考えているかわからない」「果たしてどんな感情でここにいるのかもわからない」というのに、一旦ステージに立った途端表情を変え、動きを変え、言葉も、表現も変える。そうして終わった時には何事もなかったようにまたニュートラルな姿に戻っている(大体いつも斜め45度上を見ている)。そんな飄々とした雰囲気が好きなんです。今回の『幕末太陽傳』でも、メインの2つの役とアンサンブルとしての役、そのどの時を観てもやっぱり「舞台上で生きている姿」が好きだな、と思いました。そして一番は、これから「高橋龍輝がどうなっていくのか見ていたいと思う」ということに尽きる。願わくば、「高橋龍輝が選んだ作品ならば楽しませてくれるだろう」と思わせる役者になってほしい。それだけです。

余談ですが。

私が観劇した12日の夜の回にはKJ(そして子供)とPESさんが来てました。もともとロキノンというか、あの会社の雑誌ばかり読んでたキッズだったので懐かしいなという気持ちで始まる前から胸がいっぱいに(盛大な嘘)。くわえて、「ああ、高橋龍輝のことをふたりが見ている…」と思ったらやっぱり胸がいっぱいになりましたね。

そんなところで次の観劇予定は『夕陽伝』なんですけど、東京千秋楽しか取ってないので一カ月以上先。その前に『AZUMI』も観たいな。