取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

私がLDHアーティストを好きな理由

このエントリーはLDHアーティストの好きな理由を言語化するために作られていますが、各グループの魅力やおすすめポイントを書いたエントリーではないのでその点ご理解ください。あと、面白いかもわからない。2021年5月のメモです。

結論から言うと、各人の美学よりもLDH的な美学のフォーマットに則って彼らが存在し行動しているということの様式美を愛しているんだと思います。自分は耽美主義者*1なので。

友達にこの間「自分の良し悪しとは違うセンスなのになぜLDHが好きなのか」ということを聞かれて考えたことなんだけど、友達が言うことはまったくもってそう。音楽的な好き嫌いでいうと、自分は邦楽ポップスにあまり興味がない*2し、LDHのLove, Dream, Happinessは私の信条ではない。理想主義的なモットーは苦手だし、これを既にある言葉として違和感なく多用するということは、逆にこの言葉を陳腐にしてしまっているんじゃないかとさえ思っている。社長であるHIROさんはそこに深い意味を込めているのかもしれないけど、同じように他の人間も考えているのかは分からない。分からないだけで、考えている人もいるかもしれない。ただここで言いたかったのはこの言葉は私の美学ではないし、自分の美学ではないと思っている人がいないとも言えないということです。*3

それでもその美学に則って彼らは曲を作って、MVを作って、歌って、踊っている。少なくともその中にLDHらしさがあると思われている。例えば、Jr.EXILEのBATTLE OF TOKYOのトンチキ感。あれは紛れもなくLDHっぽい。特に、英語でのストーリーリーディングから始まるのは結構痺れる。でも、LDHが好きな人ならライブが始まる前に何度も聞かされていてそんなのはもう当たり前。かっこいいとか、ダサいとかそういう次元ではない。「そう」なのだから仕方ない。もちろんそれだけではなく、基本的には歌もダンスもレベルは高い*4から、体系化したLDHの美学を引っ掛かりなく見終わりさえすればある程度は満足度が高いエンタメだと思う。各グループごとに魅力があるし、一人一人の個性もバリエーションに富んでいて飽きない。でもまず先に、率先してLDHの美学を踏襲してくることに良さを感じてしまうんですよね。

じゃあ本来的な時代に合わせた多様性のあるかっこよさはどうでもいいのかと言われたらそうじゃない。もちろん、各人が目指すかっこよさが垣間見える瞬間はとても良い。ただ、その前にはちゃんとLDHがあって、それは何をしても消えないところがなんかこう、なんでそこまで?という気持ちと共に一種の清々しさを感じて良いなと思うんですよね。

別に批判ではないけれど、BALLISTIK BOYZのAnimalは確かに何から何までかっこよかったし、だからこそ今まで聴いてなかった人たちまでBALLISTIK BOYZの曲を聴いてくれたんだと思うけど、この一番のポイントはLDHっぽさがなかったからだと思うわけです私は。なんなら洋楽っぽくて良い、とまで言われてたし。でも、彼らの曲が「洋学っぽい」ことが今後の何に繋がるのか私には分からない。ずっとその路線で行くっていうのはあると思うけど、あの事務所がそうするわけがない。そもそも、LDHの美学に少しでも嫌悪感があって、「食えんわ」と斜に構えてる人たちにウケるものを作っても意味ないと思いますけどね。上記の通り供給には持続可能性がないので。個人的には、かっこよさをLDHの美学の中に閉じ込めて有象無象と差別化を図るというのが醍醐味だと思うので。

そんな感じです。一方で、LDHとか別にどうでも良いけど推しの顔が好き言動が好き全部好きというのはありますね。もうどっちが先で後だか分かりませんが。

*1:作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする立場 https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E8%2580%25BD%25E7%25BE%258E%25E4%25B8%25BB%25E7%25BE%25A9

*2:個人の趣味としてドラムンベースというブレイクビーツの派生ジャンルが好き。

*3:シュレディンガーの猫状態だし、アンケートされたら否定することはないと思うから難しい。

*4:クセはある。