取り留めもない

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ロ字ック第12回本公演『滅びの国』

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STORY

“団地”に住む主婦は、別の女にのめり込んだ旦那の帰りを待ちきれず、部屋に若い男を呼び、その場限りの関係を結ぶ。
若い男は主婦を柔らかく抱きとめると、耳元で「愛している」と言う。それがリップサービスだということは分かっている。
だが主婦はその日から、その若い男のことばかりを考えるようになってしまう。
彼が住むのは“シェアハウス”。その場限りの慣れ合いを良しとし、蜜を舐め合うような環境。
わたしが居る場所が滅びなのか、それとも彼のいる場所が滅びなのか。

「真っ暗なトンネルの中にいるみたいに空っぽだ。わたしもあの彼も」

団地とシェアハウス。時代を象徴するコミュニティーに居住する男女ふたりの孤独を描く。
誰でもいいから、最低なあんたでもいいから、わたしのこの渇きを満たしてほしい。

滅びの国|□字ック第12回本公演 特設サイト 

REVIEW 

目の前の事象に、人々に目を向けることは、全く知らない物や人と繋がるよりも難しい。仮に他人と繋がることができたとしてもそのつながりは脆く儚い。理解することができたと思っても次の瞬間には現実に目を向けないとならない。それは目の前の物事。結局それらを直視しないでは、前に進むことはできない。

そういう誰にでもある自分の不甲斐なさを、いろんな形で発露する姿をこの作品で観ることができた。ある人は寂しさを一瞬の快楽に溶かして。ある人はインターネットに吐き出して。ある人はお金や暴力でで解決したりする。どれも人が成長するためには必要なことなのかも知れないけれど、それには想像以上の痛みを伴う。そしてそれは自分だけじゃない。周りも傷つけて、それを知ってまた傷ついて。多くの人は逃げ出してしまったけれど、ちゃんと痛みを抱えた人だけが前に進むことができた。それは当たり前のことかもしれないけれど、この過程の中で見た当てつける先のない若者の怒りや噛み合わない夫婦の会話の現実感がこの話をいっそう魅力的にしていた。

初めてのロ字ックさんで、本多劇場進出の場に立ち会えたのは何かのご縁という気がする。個人的には演技と音楽と映像(プロジェクションマッピング)とダンスがシームレスに行き来する演出が結構好きだなと思った。あそこまでいろんな要素がてんこ盛りなのに、現実感のある話としてすんなり入ってくるのが面白い。

今回の目当てはもちろん三津谷さんだったんだけど、彼が舞台上で怒りを露わにする時、彼が演じる祥示もまた同じように誰かを怒ることに慣れていない人なのかもしれないと思った。器用に生きているつもりでも、実際は泥臭いことばかりやってきた。綺麗な顔の下に、悲しい顔があるそんな人。最後に弟ができたことを報告した時の祥示は、以前より幸せに近づいていたのか。誰にもわからないよなそんなこと。

『恋の渦』や『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』みたいにまるで映画になりそうなお話だった。まあでもそれには少し狙い過ぎな台詞が多い気がしたけど。

公式サイト

roji649.com

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