取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

RooTS Vol.05 『秘密の花園』

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STORY

日暮里にある古びたアパートの一室。この部屋に暮らすのはキャバレーのホステス「いちよ」(寺島しのぶ)とポン引きの夫、「大貫」(田口トモロヲ)。この夫婦のところに店の客であった「アキヨシ」(柄本佑)はもう二年もの間、毎月自分の給料を何の見返りも求めずに届けている。そんなアキヨシにいちよはよく「生まれる前の港で、契りを交わした」という話を語り聞かせていた。 一方で、いちよは町の権力者、「殿」(池田鉄洋)の甥っ子である「かじか」(玉置玲央)から熱烈なプロポーズを受けていた。そのかじかにもらった婚約指輪がどうしても薬指から抜くことができない。いちよをめぐり、3人の男達の想いが交錯する中、アキヨシはいちよにある事実をうちあける。そこへアキヨシの姉「もろは」(寺島しのぶ)も現れ、日暮里の森がおおきくざわつきだす。

秘密の花園 東京芸術劇場 

REVIEW

大人の男と女の「プラトニックラブ」は存在するのでしょうか。 わかりません。私にはわかりません。それは到底わからない疑問です。そして今日、私は大人の男と女の「プラトニックラブ」を見ました。想像していたよりも汗臭く、泥臭く、不格好でした。純粋というよりも無知に近く、愛というよりも執着に等しい。ひどく気の遠くなるような、噎せ返るほど美しい感情でした。

というように言葉の流れの良さだけで何かを書き綴ってしまいたいような、そんな気持ちになる作品を久しぶりに見た気がする。この時代の作品をあえて観たりはしてこなかったけれど、『ぼくらが非情の大河をくだる時』を観た時も同じようにこうして突き動かされた。

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その語り口。今では語りだすだけで違和感があるのに、それを聞いた私たちは逆にその次代に連れて行かれる。時代とともにあるような作品は、決して「今」の文脈だけでは語ることはできないけれど、そこが面白い。こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、理解できるものだけが、考えることができるものだけが楽しめるものであってもいいのだ。知らなかったものは今から知ればいい。それでこそ文化的な行いなのだ。というのが私の思うところであります。

物語は前述した通り。寺島しのぶをあんなに間近に見たのに、曇りなく美しく、少女であり、場末の女でもある。物語の清らかさと不純さを象徴するような存在だった。アキヨシを演じる柄本佑を観ていて、映画『69 sixty nine』を思い出した。純朴な青年。なのに本当は何もかも知っていて、女を惑わせる。田口トモロヲが出てきてからはずっと、「さすがだな~」なんてしみじみと。その場の空気をすべて掻っ攫うような個性。相反するような普遍性をもったキャラクター。今思い出すと、よくいる「ポン引き」のような気もしてくる。「ポン引き」なんてそうそういないけど。イケテツさんは、『ドン・ドラキュラ』の時を思い出すけど、飄々としながら素で決めてくる、面白い役者さんだなと。

そして大事なカジカ役の玉置玲央。もともとこのお話の内容を知っていた訳ではないから、カジカというのがとんなものか全く知らなかったのだけどほんとに最高だった。これは玲央さんのための役なのでは。柿喰う客の公演では存分に発揮されるその身体能力も、大きな会場でも鳴り響くその声も、全部がカジカに備わる魅力なのだと感じさせるほどにそれはぴったりと合っていた。カジカのいちよに対する愛情表現は、欲しいけれど手に入らないおもちゃのために駄々をこねる姿によく似ていて、愛する人に少しでも見ていてほしくて無茶をする。無茶をする度、駄々をこねる度、客席に飛ぶ水しぶき。おそらくわざとやっている。真剣にふざけている。そんな姿が美しい。ついでにタラちゃんのような髪型はかわいい。

久しぶりに心が洗い換えらるような作品を観て、現実逃避の楽しさを思い出した。

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natalie.mu

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