取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

舞台『ETERNAL CHIKAMATSU -近松門左衛門「心中天網島」より-』

f:id:aooaao:20160327005952j:plain

STORY

ほんのちょっと、15分だけの恋のはずだった。

止むに止まれぬ事情から、売春婦になったハル(夫と子供あり)。割り切って始めた商売だが、 足繁く通うジロウ(こちらも妻子持ち・現在失業中)と命懸けの恋に落ちる。周囲の反対を押し切ってこの恋を全うすることが出来ないと諦め、ハルはジロウに愛想尽かしをしたふりをして心ならずもジロウと別れる。自暴自棄になって街をさまよっていたハルは、かつて遊女の涙で溢れたという蜆川(曽根崎川)のあった場所で、ハルと同じ境遇にある、妻も子供もいる紙屋治兵衛と命懸けの恋をしている遊女小春と出会い、近松門左衛門の江戸の世界、古い古い恋の物語に引きこまれていく。

ETERNAL CHIKAMATSU -近松門左衛門「心中天網島」より- | シアターコクーン | Bunkamura

REVIEW

この作品を観劇して、自分自身の演劇的教養が皆無であることを実感したし、すぐには埋められなさそうであることの惜しさが込み上げてきた。新しいことを知る・楽しむにはこういう挫折が必要なんだろうなといって自分を慰めているけどもっと勉強しないとな。たくさん観て考えたい。いろんな人の話を読んで咀嚼したい。

今作の『エターナル・チカマツ』は話の筋がシンプルなだけに、演出と脚色の美しさが際立っていたように思う。同日に観た『アヴェ・マリターレ』は話の精密さやテンポの良さというような演技と物語に心血が注がれていたから、対極にある作品という感じがして、かといって比べてみてどちらがより良いというものでもなく、どちらも楽しく舞台も奥深いなと思い知った。

物語る物語

近松門左衛門の『心中天網島』は人形浄瑠璃の作品として作られ、語り継がれ、今回は演出家・デヴィッド・ルヴォーのオリジナルアイデアに基づき、作家・谷 賢一が書き下ろし『エターナル・チカマツ』として新たに物語られた。有名な話だから、物語自体は音楽の授業で人形浄瑠璃として観たことがあったけれど、その時に深く感じ入って観ていなかったし、実際に「心中の話である」というだけ頭に残っただった。それが今回は死に向かう話ではなく、生きることを実感し、喜びと感じられるような話に仕上がっていたことに驚いた。話自体はほとんど変わっていない。それなのにそう感じられたのはひとえに「物語り方」の違いだと思った。

作品の中で現代で生きる娼婦のハルがおそらく近松門左衛門に扮しているのだろう語り部に「こんな風に何度も何度も物語の中で心中する小春がかわいそうだ。何とかしてやってくれ」というようなことを言う。そもそも、このハルの発言が心中モノの物語の中ではとても新鮮で新しい視点だし、かなり読者目線というか、それも「長く語られる物語」であることを理解した今現在の読者の発言というのが不思議な感覚だった。それに対して語り部は「いくら小春が『これ以上遊女が心中しないように』といっても人々がこの話を求めている」と答え、それほどまでに『心中天網島』の魅力的であると言う。最終的に、小春を救うことがハルを救うことであるということになるけど、それ自体に特に納得性があるわけではなく、全体的に幻想的なはずなのにここだけが「夢・理想の類」という感じがしないでもなかったかなと思った。

シンプルな筋と納得性のある演出

「女同士の義理」「心中の美学」だとか、知ってはいたとしても今の時代になかなか理解する人は少ないのではないかと思うことも、その総ては圧倒的な形式の美しさと、世界観で納得性を作り出していた。小春とおさんは直接会うこともなければ、手紙でしか相手のことを知らない。けれど、たった一回のやり取りで相手がいかに義理堅く、そして自分もその義理に応えなくてはいけないと二人は知っていてそれを観客が思い知るその動作や言葉のひとつひとつが自分の中に染み込んでくるようでいつの間にか理解をしてしまっていた。それに現代劇と時代劇(一部、歌舞伎要素)が融合しても居心地悪くないだけでなく、違和感なく、幻想的でありながらリアルというのが素晴らしい演出だった。

演者たちの力量

そして今回一番実感したのは、演者ひとりひとりの表現力の高さ。こんなこと自分が今更言うこと自体が申し訳ない有名なキャストのみなさんなので、「何言ってるんだこいつは」程度に読み流していただいても構わないのですが、それでもやっぱり素晴らしかった。

中村七之助さんの「もっと若い人たちに歌舞伎を観てほしい」という思いでスタートしたプロジェクトというだけあって、彼の役は様々な存在意味を持っていた。「歌舞伎を様々な人に知ってもらうこと」「日本で語り継がれる物語の美しさを知ってもらうこと」そして「歌舞伎に興味を持ってもらうこと」がプロジェクトの目標だとすれば成功だったと思う。少なくとも私の歌舞伎に対する障壁は低くなった。七之助さんの遊女・小春姿はまさに圧巻。はじめ出てきた瞬間には息を飲むことすらできずに、いつの間にか止まってしまっていた。美しく、儚く、でも愛に対してはまっすぐな強さを持つ魅力的な女性だった。

深津絵里は、リベラルだけど情の深いハルという女性。彼女自身が一番自分の性格や態度を嫌っていたし、でもどうすることもできないことに苦しんでいたのではと思う。橋の上で小春の記憶を辿っている時には、小春とともに苦悩しているようにも見えた。

伊藤歩が演じる「おさん」は、小春と女の義理を確かめ合うとってもチャーミングでいじらしくかわいらしい魅力を持った女性だった。夫の治兵衛を小春のもとへ送り出してから「これから私はどうしたらいいの」と素直に言ってしまうおさん。気丈さと弱さが滲み出ていた。

そんなおさんの旦那の治兵衛を演じる中島歩は、優柔不断で甲斐性なしなそのキャラクターを格好つけることなく演じ切っていた。ともすれば、おさんを庇うようにも小春を助けるようにも演じられてしまうところを、最後まで「頼りない男」として舞台の上にいてくれたことで、周りの女性の美しさが際立っていたと思う。

 

その他の役者さんも素晴らしかったのだけど、とりあえず主要なところまで。

演劇のように初演を経験し、再演を繰り返しながら物語が進んでいくことの面白さや、その過程で少しずつ物語が変容していくこと自体が、「永遠に続く繰り返しと破壊の美学」なのかもしれないなということを ずっと考えている。まさにこの作品のように。