圧倒的なライチイヤー(LDHでいうパーフェクトイヤー)を感じて残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』を観てきました。
残酷歌劇について
実際、最高だった。漫画の耽美な世界や儚い少年たちを忠実に表現するのではなく、「なぜ舞台化するのか?それもなぜミュージカルなのか?」ということを演技、歌、音楽、ダンス、舞台美術の総てをもって知らしめる作品になっていた。演出の河原雅彦曰く、『ライチを演劇にする』ではなく、『演劇がライチをやる』*2というテーマがあったというが、本当にそうだと思った。制作側にも役者側にもその意識をしっかりと合わせたうえで作っているんだろうなという感じ。そもそも、「これでミュージカルってどうなのよ」というところから、「え、ダンスは東京ゲゲゲイ?」「脚本は丸尾丸一郎?」となってからの安心感と、それと比例した期待値の高まりが心配になるほどだったにも関わらず、裏切られなさ過ぎて動揺した。正直、あんなダンスを本職役者の人たちがやってるのか~と思うと感動さえした。他に観たことがあるミュージカルが『LILIUM』だけだから歌と演劇のコラボレーションはこういうものなのかと思ってるんだけど、『LILIUM』も『ライチ☆光クラブ』も音楽担当が一緒だったんで、そりゃ似てるよな。全然関係ないけど、始まる前に会場でかかってた曲がSkrillexとGD&CLのDirty Vibeだったし、カルチャーごちゃまぜのお金がかかった上等な「見世物小屋」だった。
全体的に耽美的世界というより、幼さゆえの盲目的な“神(=ゼラ)”への信心や陶酔、狂気がフォーカスされていたと思う。ゼラが主役なわけだけど、途中からタミヤ中心で進んでいくし、元々のリーダーもタミヤであって、ゼラはタミヤへの羨望をずっと抱えてる。頭脳や実力とは別の人間的な魅力みたいなものを持っているタミヤのことを手下のようにして使うことでやっと自分を保っていたんだろうなと。なんにもしない、むしろ何をするか分からないジャイボを自分の一番近くに置いていたのも、それはジャイボがゼラ意外に興味を持っていなかったから、つまりタミヤよりゼラに価値を見いだしていたからということが大きな理由なんじゃないかなと。それがゼラを裏切るか否かとはイコールになっていないことがこの物語の落とし穴。少年たちの帝王であるゼラでさえそこまで考えることが出来ない少年だったということが哀しいところ。
役者について
ゼラ(中村倫也)
ライチ☆光クラブについて
前にも書いたけど、『ライチ☆光クラブ』にはゴシック的な精神を伝えようという意思はあまりないと思っている。ここでいうゴシック的な精神は以下。
物心ついた頃から怪奇なもの怖いもの暗がりにあるものが気になって仕方なかった。夜とか墓場とかお化けとか怪談とか、そうした想像が興味の大半を占めていた。
集団生活と共同作業が苦手だった。幸い今のところ徴兵制はないからよいが軍隊に入れられたら耐えられないだろうとよく考える。
平穏が続くというのが信じられない。いつも死のイメージばかり考えていた。
死は膜一枚で隔てられているだけと思っていた。今もそう思っている。
ダークな感じ、陰惨なもの、残酷な物語・絵・写真を好む。
ホラーノヴェルもホラー映画も好きだ。
時代遅れと言われても耽美主義である。いつもサイボーグを夢見ている。肉体の束縛を超えたい。
両性具有、天使、悪魔、等、多くは西洋由来の神秘なイメージを愛する。金もないのに贅沢好み。少女趣味。猟奇趣味。廃墟好き。退廃趣味。だが逆の無垢なものにも惹かれる。
情緒でもたれあう関係を嫌う。はにかみのない意識を嫌う。顔を合わせれば愚痴を言い合い、ハードルをより低くして何でも共有してしまおうとする関係を見るたび、決して加わりたくないと思えてしまう。自らの個の脆弱さは身に滲みて知っているつもりだが、だからこそ、最初から最低レヴェルで弱さを見せ合い嘆き合おうという志の低さが気に入らない。
欲望そのものはよいとしても野卑で凡庸な欲望の発露を厭う。主に性に関する場合が多いのだが、「不倫」だの「結婚願望」だの「恋の駆け引き」だのといった予断に満ちた語は性の形をひたすらありきたりに陰影なく規格化していて腹立たしい。いくらでも異様な発露を見せうるはずのことを常に決まりきった形で安く語る言葉が嫌悪されてならない。
自信満々の人が厭だ。弱者だからと居直る人も厭だ。「それが当たり前なんだから皆に合わせておけ」と言われると怒る。はじめから正統とされているものにはなんとなく疑いを感じる。現状の制度というのが決定的な場面では自分の味方でないように思える。いつも孤立無援の気がする。
気弱のくせに高慢。社会にあるどんな役割も自分には相応しくない気がする。
毎朝、起きると、また自分だ、と厭になる。自分ではないものに変身したい。それは夜に生きる魔物であればよい。
そこに善悪は問題でない。美しく残酷なこと。きりきりと鋭く、眠るように甘いもの。ときにパンク、ときにシュルレアリスティック、またときに崇高な、暗い魅惑に輝くそれがゴシックの世界であると私は信じている。
高原英理『ゴシックスピリット』
これに近いものは確かにゼラの中にあるけれど、もしこの精神を貫けたのであれば、ゼラは本当に世界をその手におさめることもできたはず。でも実際はそうじゃない。ただあるのは、人間の本性を映し出す時に適した世界。だからひとりひとりのキャラクターについてもそこまで魅力的に感じることはなかった。でも今回、『演劇がライチをやる』というものを観て、「舞台化の意味」をまざまざと感じたというか、生身の人間が役や世界を噛み砕いて昇華して、再生成したものの魅力を感じてすごいなと。今この一瞬を生きてるんだという作品と向き合う体験ができたのはなによりも素晴らしいことだった。
来年は『ライチ☆光クラブ』の映画が公開されるんだけど、正直この舞台を受けてどれだけ楽しめるかなと思ってる。いや、ある程度のものは想像できるけど、ゼラチンペーパーのように一瞬だけ燃えて消えていった少年たちを目の前で観た後に、さすがに映画という媒体じゃ物足りない気がするんだよね。とにかくまぁ、池田純矢がニコなので楽しみにはしてるんだけど。
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