映画でも舞台でも「観る理由」がある。私はだいたい以下のどれか。
- 推し俳優が出てるから
- 推し監督/演出/脚本が作ったから
- 推し俳優が選んだから
「推し俳優が出てるから」っていうのは、作品を観るというより、推しの勇姿を見るためというか、次にいろんなものに出てもらうための投資に近い。推しに花を贈る目的と近い。
枯れ木に〜だとしても劇場を埋めたいし、初日や舞台挨拶だったら推しの晴れ晴れしい姿を目に焼き付けると同時に、座席の黒い頭になりたいわけです。
でもまぁ私の場合、この理由しかない時はどうやったって観に行かないことがある。自分で言うのもなんだけど、好き嫌いが激しい方なので、映画の場合、恋愛映画はレンタルでいいかと思うし、ヤンキー映画なら3回は観る。「なんとなく良い話」の舞台は苦手だし、2.5次元舞台は原作が好きじゃないと乗り気にならない。「それでも貢ぐのがオタクじゃないか!」と言われそうな気もしますが、いいんです。私の時間とお金の問題だから。
「推し監督/演出/脚本が作ったから」は観る率のさっきよりも少しだけ高い。というのも話が面白くさえあれば大概のことはクリアできると思っているから。作っている人の「色」から大きく外れることなんてそうそうない。
上記の人が関わってたら大体観る。そんなに観てもないので今のところまだ演劇に関してはなんとも言えないけど、末満健一(脚本/演出)のことは信じたい。とかいいながら、三池監督には散々裏切られている。でも、『46億年の恋』とか『極道大戦争』みたいなのを3年に1回くらい放り込んでくれたら許すみたいなところある。(推しにめっぽう弱い)
最後に「推し俳優が選んだから」というのが安心安全のセーフティーとしての地位を確立している理由なんだけど、本当のところ半分は幻想だとわかっている。というのも、仕事を選べる人なんてほんの一握りだから。それでも、こういう言い方をするのには、「その人(=Aとする)」がいれば、多少物語が破綻してようと、多少キャラクターの設定がおかしくても、多少世界観が崩壊していても「全体として」楽しめることがあるから。そういう場合、「Aが出てれば観よう」と初日のスケジュールを確認するほど、何のためらいもなくなる。
そういう意味で私が信頼しているのは今のところ渋川清彦しかいない。
物語の中で彼はいつもどこか少しおかしな人。ひとりだけ話が噛み合っていない感じがする。拍子を外される感じがする。ただただ異様。だからみんな彼が好きなんだと思う。だからみんな彼に相応しい器を持ってくるんだと思う。それは一方で、役に偏りができるということだけれど、だからこそ安心して観ている。いつもは気の良いお兄さんなんだけど、パーンと振り切れたり、逆に優しいの極みみたいな演技をするのでとても好き。色が濃いなと思うけど。
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「推しの普通の気グル役」 を見たいというこのエントリ、めっちゃわかる(素) 普通さの感覚に個人差があるから、この方が書かれているキャラクターとは少しずれているかもしれないけど、私の場合その「普通の気グル」で思い出すのが渋川清彦。
これは完全に振り切った方だけど、こういう役をやらせたら天下一品だなって。
同系列で言うと、
新井浩文とか
村上淳とか、つまり
ディケイドとか
アノレとかそのあたりの人々。(
安藤政信もその昔ディケイドだった)若手俳優に散々湧いていようと、あーだこーだ言って落ち着くのはここ。あと、自分の推しもここらへんを目指しているというようなことを3年前くらいには言ってた。だから期待してるし、何よりそうなってくれると私が嬉しい。
期待している、本当に。
番外編
普通にしてるだけなのにこっちをゾッとさせてくるトップ2は
松田龍平と
池岡亮介。なんか気持ち悪いよね、いい意味でも悪い意味でも。