INTRODUCTION
女であることへの戸惑い、怒り、コンプレックス、そして生きていくことへの辛さ、悲しみ、無力感と孤独。6人の女優と1人のダンサーで演じる1人の女の生涯。
REVIEW
私は、もう殆ど死んでいる。それも私の気が付かない内に。観劇後の感想はこうだ。8つに区切られた空間。そこに存在する7つの魂。それがそれぞれ苦悩し、生きている。それなのに私は、殆ど死んでいることにも気づきもせず劇場の椅子に座っていた。
女は女に生まれるのか、女に育つのか。
女を強調せずとも生きることができるこの時代に生まれ、漫然と生きてきた私には、この問がどこか遠い昔のことのような、別の世界のことのような気がしていた。だが実はそれは違う。女であることの本当の価値を見出すのであれば、女たるべきであるというのは当然のこと。私は彼女たちが悩み苦しんでいるずっと手前で生まれたての赤ん坊のように無邪気にこの世にこの実を晒していた。なんて無意味な生。
カナダの物語であることが関係しているのかわからないが、伊勢谷友介が主演した『パッセンジャー*1』という映画にも、美しくあることに取り憑かれた中年の女性が出てくる。彼女はそのままでとても美しいが、自分が「女」であると評価されなくなることに恐れを感じていた。娼婦であれば尚更だ。美しくも醜くもない「自分」が年老いてしまうだけで恐怖、と感じるのは理解できる。魅力はそれだけではないだろうという言葉などほとんど意味がない。『クロードと一緒に*2』で娼夫のイーヴが刹那的な感情でクロードを殺したのも、彼が娼夫としてこれから衰えていくばかりの自分を、まだまだ差別的な社会に生きながらクロードが愛し続けてくれるか不安だったから、というのも理由の一つに違いない。
この作品からは絶え間なく詩的な言葉が溢れ出て、苦しみも歓びも悲しみも、あらゆる感情が総て洪水のように観客に襲い掛かってくる。 ただ何もできず受け止める他ない私たちは、唯一の抵抗手段である言葉も失った。オートマタの物語のように開いては閉じる世界が今でも頭の中を巡っている。悲痛に歪む子守唄のような歌声が耳にこびりついている。
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P.S.