取り留めもない

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舞台『メサイア -悠久乃刻-』

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messiah-project.com

REVIEW

有賀と加々美

メサイア』はそれぞれの過去との戦いであると思っていた。具体的には、彼らがサクラ候補生になったきっかけの「死ぬほどの絶望」を乗り越えていく物語。実際、今までの卒業生は皆自分の抱えていたその絶望の根源を、生きる希望に変えて巣立っていったと思う。

では、有賀涼と加々美いつきはどうであったか。

悠久を観て、そのあと友人と話して確信したのは、この二人は「現在進行系の絶望と戦っている」ということだった。有賀は鋼で間宮と向き合うことで自分の過去にも対面し、一種の罰を受けた。このことはその後も有賀の中で重要な意味を持つだろうということは周知の事実ではあるが、鋼の時点でいったん過去との区切りはついていたと思う。次に加々美について、これは作品の中で説明が足りないなと思った部分ではあるが、彼の両親を殺した叔父を自分の手で殺めてからチャーチにやってきた時点ですでに決着はついていたように思う。

そして、今回の作品で彼らが向き合わなくてはならないのは自分たち自身である。有賀と加々美はメサイアという存在を絶対的に信じることでサクラとなった。絶望を越えることでなく、希望を見出すことが彼らのサクラとなる条件だったと考えると、今までの先輩サクラに感じられたような危ういまでの依存関係とは異なる関係を築いたように思う。生きる意味を失ったものたちが、国を守るという使命を受けて生きることができるようになるというようなものではなく、人間らしく生きていくための意味を互いのメサイアによって見出したような、そんな気がした。そういう意味で美しい卒業だった。でも、だからこそ有賀と加々美にはスパイとしての孤独感が感じられないということが、この先どういう意味を持つのかとても興味がある。

サリュートとスーク

他の方の感想にも書かれていたが、彼らは今後三栖と周のような活躍をしてくれるのではないかなと思った。自分たちの出生や戦う意味を考えながら、時にサクラと対立し、時に理解しあい、時に同じ目的のために戦うようなそんな存在。自分たちの理想のために生きるというのは別に誰かと戦うだけが答えではないというようなことを体現していく。人間的で、かつストイックな生き方が彼らには似合いそう。どうでもいいことだが、サリュートが「ボク」と「キミ」で会話する度に好感度が上がっていく。

御池と柚木

万夜さまから「僕は君(柚木)に殺されたいんだ(適宜、反転してください)」っていう一世一代の告白がある悠久乃刻。この言葉を聞いた時に一種のプロポーズだなと直感した。と同時に、私が初めて触れた『メサイア』って普通の世界ではいきていけない、こういう言葉を吐いてしまうような人たちが沢山いた世界だったなと思い出した。世界観を曲で例えるとASIAN KUNG-FU GENERATIONの『新世紀のラブソング』のような。

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周も最初出てきた時はめちゃくちゃ観てて不安だったものです。だからこそ、御池を観ているとなんだかちょっと嬉しくて。個人的には普遍的な幸せとか、人間的な生き方とか、そういうものは度外視して自分たちの幸せを見つけていくのが『メサイア』みたいな風に思っているので。。今回、劇場販売分の文庫についている冊子を読んでも死んだ。皆さんもぜひ死んでください。

そのほか、衝撃だったのはハングドマンのリョウへの「お前は俺のことだけ見ていればいい」発言。こっちでもプロポーズが行われていた…。ハングドマンからそんな言葉がと結構びっくりしたし、椅子から転げ落ちるかと思った。

書きたいことはたくさんあるけど、ひとまずここまで。皆んな『メサイア -悠久乃刻-』を観よう。

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