DD過ぎて中身が薄い

映画や舞台の感想書いたり、推しが大好きと叫んだり。

空想組曲『どうか闇を、きみに』

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STORY

少年は目覚め、困惑した。
匂いも空気も自分の寝室とは明らかに違っていたからだ。
辺りを見回すが何も見えない。薄い闇だけが広がっている。
するとすぐ近くから男の声が聞こえてきた。

男は少年を見下ろした。
これから自分が彼に行うことを想像する。
これは一体誰のためなのか。何のためなのか。
答えを出す前に少年が目を覚ました。
男は彼の目を覗き込んで囁いた。

「今から君の教育をはじめる」

公演情報 of 空想組曲

REVIEW

聞かれたことは答えよう。

自分もそんな言葉を投げかけられたこともあったかもしれない。

分からないなら考えよう。

きっとそれが成長につながるはず、となぜか盲信していた。

がっかり。あーあ。もったいない。

そう言って突き放されたらどうしたらいいか分からないよ、ってじゃあ考えなきゃ。どうしてそう思うのか、なぜそうしたのか、ちゃんと考えなきゃ。実際、言葉の呪縛は身体的な高速よりも人を追い詰めるのではないか。愛のあり方について、他人が口出しをできることではない。あの女が、男が、少年が。互いに想い合っていた気持ちは、愛情なのか、憎しみなのか、恐怖なのか、それが一体どんな発露であったのか。その感覚的な違いを「教育」されなかったならば、その他大勢と同じように表現できたであろうか。おそらく無理だ。だから、男を教育した女のことも、少年を育てた女のことも根本的には否定ができない。総て、彼女が最前を尽くした結果なのだから。

この裏にある命題は「怪物は生まれるのか、作られるのか」ということだろう。あの光景を目にした観客たちは、繰り広げられる拷問に、人々の狂気に恐怖するが、実のところその加害者も被害者も同じ人間に育てられていた。彼女の実験は成功していた。怪物は作られ、次に人間も作られた。恐怖を与えれば、恐怖を与えるものとなり、世間一般の愛情を与えれば、愛情を与えるものとなる。私が今まで観てきた物語*1は、「怪物は作られるのか」についての考察が多かったけれど、「人間はどうやって作られるのか」についてわざわざ語られることがなかったように思う。この物語でのこの疑問への答えは「少年」だった。ただ、彼の存在の意味を女(=母)が理解できなかった。そのことがこの作品の中で最も悲しい。

観劇する前は残酷で、悲しい話なのだという漠然とした想像しかなかったけれど、観終わって考えると、確かに家族の物語で、それは昨年同じ場所で見た『オーファンズ』と重なった。

aooaao.hatenablog.com

不器用な人間たちが、教育者をなくして、自分たちの力だけで生きていく物語。衝撃的な暴力描写で隠さないと、居ても立ってもいられないほど不器用な愛情表現は、 『どうか闇を、きみに』でも十分に表現されていた。

1時間40分間、物理的に真っ暗な舞台を見詰め、暗闇の中に虚構と真実も観ていた。さらに美しいまでの男の姿、その傷さえも彼の魅力である。彼を貪り上を通ってきた人間も、そう思ったはずである。三浦涼介さんはどこかサディスティックなのに、人の加虐心を煽る。不思議な役者だ。一方の少年は心優しくて、それでいて隠すべき自らの羞恥も持つ一般的な、極めて一般的な人間の美しさがあった。あの姿を表現するのは、実はエクストリームな役よりも難しいかもしれない。内藤大希さんはミュージカルのイメージが強く、垢抜けない少年のイメージはとてもなかったので驚いた。そして女は最も純粋無垢だった。まるで少女のようだった。それが彼女の狂気と知る山下容莉枝さんは、やはり素晴らしい。そして脚本と演出を務めたほさかようさん。人に容易く理解されない世界を、恐れなく表現してくれたことに感謝し、4月の『Ye -夜-*2』にも期待したい。

人間はどう生きるのかを考え続けることが基本にあると思う。だから最後、「生きるのが、怖い。どうしていいか分かんないくらい怖い」という男の叫びに、「分からないなら、考えよう」と言ってくれる人がそこに居て良かったと、そう思わずにいられなかった。

参考記事

enterstage.jp

enterstage.jp

www.theaterguide.co.jp

*1:例えば、韓国ドラマ『ホワイトクリスマス

*2:Yé -夜- 公式サイト