取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

演者信仰というものについて

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特定の職業の人に憧れがあるわけではないのだけれど、演技をする人たちに対して、およそ自分自身がこんなに熱烈な感情を持っていたのかと思うくらい、羨望の気持ちを抱くことがある。決して芸能の仕事をしてちやほやされたいからではない。彼らが、禁欲的にも素の自分を偽り、性格や容貌を変えて、これというキャラクターになることを生業にしているからである。完璧に別人格を演じている人を美しいと思うことが、彼らへの羨望の発端である。職業でなくても演じることは誰でもできる。だから舞台を降りても、俳優の人格を生きてる一部の人たちに、私は並々ならぬ好感を抱く。なぜなら私にもこうと見られたいという人格があって、自堕落な「自然体」などなんの価値もないと思っているからである。

舞台上にいる俳優たち見てると「ああ、自分と同じだ」と思えるのに、一旦そこから降りてしまったら「異なる人種だ」と感じる。そう感じるのは、舞台で表現する人々が一種の普遍化されているからということもあるだろうが、私にとっては降りた瞬間に「演者信仰」から解かれてしまい、演じていない瞬間の人たちに、自分の指向性との重なりを感じられないためである。

そういったことを踏まえて、何が言いたいかと言うとつまり、誰にでも演じることはできると言った手前、自分自身にも理想を目指すことに厳しくなってほしいという、完全に自戒である。客観的に見て今の自分はなにもかも中途半端でみっともない。反自然的な人格を目指す一方で、オタクの脳直結なモノの言いようを愛しているのでそういうことはやめたくない。ついては、オタ記事専門の別人格を育成する必要があるなと考えた朝。