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映画『たかが世界の終わり』

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STORY

愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母のマルティーヌは息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌは慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ、彼の妻のカトリーヌはルイとは初対面だ。オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。

映画『たかが世界の終わり』公式サイト

REVIEW

なにも伝えないことをこんなに丁寧に伝えた作品が未だかつてあっただろうか。迫る自分の死を告げるため、家族に会いにゆく。ただ単純に、切実に、一種の義務であるかのように。12年会っていない家族。どんな顔で話していただろうか。そんな表情で笑っていただろうか。寧ろ初対面の義姉・カトリーヌとのほうが話がスムーズに進んでいく。おかしいと思う気持ちと、当然だと思う心。皆、役割通りに、期待通りに行動しようとしてしまう。一体、自分はどんな息子だったのか、母親だったのか、どんな兄だったのか、妹だったのか。皆、そこに答えがあると勘違いして、虚像を演じてしまう。そこに幸せがあると信じて。無駄話の得意な女性たちとは異なり、田舎に留まった兄はとても不器用だから、家族を演じることが耐え難いと感じてしまうし、だからこそ「なぜ」と弟に問うところまでいっても、その理由を聞くことができるほど強くない。彼らが家族であるために、彼は家を後にした。母の、兄の、妹の、義姉の愛を一心に受けて。

元々がジャン=リュック ラガルスのフランス語の劇作という今作。随所に会話劇の要素があって、映画の中に演劇を観たり、演劇の中に映画を観たりして不思議な感覚だった。正直に言うと前半はとても退屈な会話の応酬で、どうしたものかと思ってしまったが、そこはグザヴィエ・ドラン。中盤から後半にかけて、彼らしい音楽の使い方、カット割り、そこから見える心理描写。そして、最後のシーンへの盛り上げ方。圧倒的だった。

「クロード」は回りくどい言い回しや独特なレトリックも多くて、初見でついていくのはちょっと大変なんだけど、戯曲の核心部分は、たった一言で言い表せる様なとてもシンプルなもので「膨大な台詞の果てにそのたった一言に辿り着けるかどうかを役者に課す」という何とも刺激的な作品

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これは脚本家・演出家のほさかようさんが『クロードと一緒に』について書いている部分なのだけど、『たかが世界の終わり』に関しても全くこれだなと。フランス語の戯曲の特徴なのか、偶然か。どちらにしても、このシークエンスが美しくて目眩がした。

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

  • 作者: ジャン=リュックラガルス,日仏演劇協会,Jean‐Luc Lagarce,齋藤公一,八木雅子
  • 出版社/メーカー: れんが書房新社
  • 発売日: 2012/03
  • メディア: 単行本
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 そして何と言ってもグザヴィエ・ドランの映画はサウンドトラックが最高。

It's Only the End of the World (Original Motion Picture Soundtrack)

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公式サイト

gaga.ne.jp

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