「推し」と周辺のアレコレ

衝動的に書いておきたいと思ったのでひとまず。ほとんど未来の自分に向けたメモ。

スタンス

私には「推し」と信じている人と、自然と「推し」ている人がいる。ただ、どちらにしても、必ず現場に行くわけじゃない。そこはあくまでも観たいものを観たいだけというスタンスなので、多分、他の人の熱量に比べたら風が吹くと飛んでいくレベル。

二人の推し

信じている人は、もしかしたら今の仕事が終わったら俳優やめてしまうかもしれないと常に思いながら推している。それは、彼がいる環境が割とそうだから。月末、月初の正午のアメブロからの「おしらせ」通知がこわい。でも、あまりにもこの状況に慣れ過ぎて、それも仕方ないかなと思うようになった。世の中思うようにはいかない。あんまり自分の好きじゃない作品に出ていようと、そんなのは大きな問題ではない。仕方ない、仕方ないと繰り返している。それでも、私は彼を見ていろんなことを知った。舞台を観るようになった。今となってはどのポイントでそうなったのかはっきりと思いだせないけど、それだけで良いと思っている。いつかが来るとしても、私は笑顔で見送る準備ができている。たぶん。

もう一人、自然とそうなった人は、今まで上記のスタンスが普通だと思っていた、ある意味、仏のようなスタンスを目指していた私にとって、与えられるものが多くて、恐れ多くて、畏怖の念さえ感じる人。辞める心配もしてないし、どんな仕事でも彼の魅力を十分に発揮し、また成長して終える。ファンの期待に応え、欲しい言葉をくれる。コスパが良く、至れり尽くせりの冥利に尽きるなって人を好きになるとちょっと不安になる。だから、自然と推すようになったんだと思うんだけど、どうしてこの人だけそんな風になるのか不思議で仕方ない。閑話休題、お誕生日おめでとう。

好きなポイント

二人に共通するのは、 本心が読めないところだと思っている。頭に浮かんだことをすぐに口に出さない。考えつくしているかは別として、キャラクターを考えて発言し行動している。決してふざけないというわけではなく、若干小難しいというか面倒くさい人。私が推したくなるのはそういう人。

推す方法 

他のファンの方はどうなんだろう。私は自分が行動するよりも、他の人に働きかけて動かすことを上位と考えている。簡単に言えば、推しのファン(分母)を増やしたい。例えば、会場に客が10人以下なんていうのは絶対無理だし、それならチケットが取れない方が幸せに感じる。だからブログを書くし、Twitterで叫びまくる。

スタンスというより、好きなポイントが大切。ちなみに、推しだと信じている人を推している人のブログに出会ったことがほとんどない。彼らの集団自体を箱推ししている人はいるけど、何年選手という雰囲気で、今更語ってくれない。少し寂しい。ファンは多いはずなんだけどなぁ。自然と推すようになった人は、いわゆる界隈で人気な人だけど、ファンと最終形という意味での便利な用語の「オタク」ではなく、推しについてあーでもないこーでもないと余計なことばかり考えまくって1日終わるような「オタク」は少ない気がする。ガチ恋という枠自体が苦手なわけではないけど、結局本能的に「好きだ」「かっこいい」と言われても、私に伝わらない=特定多数に伝わらないので、そういう意味でのコミュニケーションがとれないのだけは勘弁してほしい。多分この面倒くささは、私の志向性が推しではなく、ファンになり得る人たちに向いて、その人たちに推しの良さを伝えることだけに特化してしまっていて、それ以外のものに価値を感じていないからだと思う。いわゆる「自分」と「自分が好きなもの」だけ認めているタイプです。

伝えたいこと

前述したように、基本的に推しには顔が向いていない。だから上手く便箋も使えない。サイリウムもペンライトも振れない。掛け声もかけられない。でもいつか私に合った方法が見つかって、そのときにもまだ推しが舞台上にいれば、「私より1秒でも長く幸せに生きてほしい」ということだけは伝えたい、と思う。