取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

文真堂とファミリーブックがなかったら今の私はいなかったというはなし

(そのままの意味で)お里が知れるはなしです。

 高校生まで暮らした北関東の田舎の家にはパソコンがありませんでした。でも、幸いなことに小学高学年の頃から携帯電話を持たせてもらっていたので、ギリギリインターネットの恩恵は得られていたけど、高が知れているというか、とにかく今と比べるとインターネット依存度はかなり低かった。というか、低くなるしかなかった。さびれた市営の動物園と遊園地と美術館はなぜか奇跡的にあったけど、映画館も潰れたし、ライブハウスも近場にはなかった。圧倒的に新しい情報に触れる機会は少なかった。それでも、今より断然新しいものとか知らないことを学ぶ能力が高かった気がする。その理由を「図書館のおかげでした」と言う人いるし、それも確かにそうだし分かるんだけど、どっちかというと私は本屋とレンタルビデオショップがあったおかげかなと思う。本屋が好きだったし、今でもふと「本屋さんになりたい」と思うのはこの体験のせい。実際、暇さえあれば母親に車で連れてってもらっていた。まぁ、他に行くところがなかったのだけど。

 文真堂書店は地元にはままあるローカル書店だった。本と漫画と文房具とおもちゃ(ファンシーグッズ)とCDとDVDがあって、そんな中で「この世界」で得られるものは総て吸収しようとしていたし、本やCDの取り寄せとかもよくしてた。お金を使う先は本・CD・レンタル料くらいだったので、気になった雑誌は大体買って、視聴して気になったCDも大体買って、ちゃんとロキノンクソサブカル少女(その頃は)になってた。LDHには目が向いてなかったのは周りに好きな人が多すぎたせいだと思う。

 ファミリーブック(通称ファミブ)はCD、DVDのレンタルショップ(一部書籍も取り扱う)地元にはTSUTAYAなんてなかったし、今もない。時間はたんとあったので、好きな俳優・監督の作品を一気借りとかしてた。本当に暇だったんだと思う。大学の受験期にもDVD借りまくってよく怒られたけど、『青の時代』とかずっと観てた。今でも90年代~00年代の邦画は実家で観る方がそれらしいというか、その「なんにもないから映画を観る」という姿勢が割と好きだったのかもと思う。ところで今現在ファミブはゲオに買収されてなくなった。地元ではゲオ一強。
 「時間があまりある」でも「できることに制限がある」ということはある種価値あることだったと思う。私は「本屋に行く」と「レンタルショップに行く」ことしか選択肢がなかったし、そのおかげで「とにかくあるものは何でも見てみる」みたいな気持ちになれた。今じゃ何でもできるのに、何にもできてない気がする。本当につまんない人間だなって思う。