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映画『星ガ丘ワンダーランド』

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STORY

温人(中村倫也)が勤務する星ガ丘駅落とし物預かり所には、落とし物を捜す人々が次々にやって来る。彼は持ち主の顔や、どのようにして落とし物がここに届けられたのかといったことを想像する日々を送っていた。ある日、20年前に自分を捨てた母が自ら命を断ったことを知り、自身も知らなかった過去が判明し……。

映画『星ガ丘ワンダーランド』 - シネマトゥデイ

REVIEW

例えば、窪塚洋介の『ランドリー』や、松田龍平の『世界はときどき美しい』のように、何年経ってから観ても「良い映画だな」と思える普遍的な作品だったと思う。誰かの人生に何か大きなものを与える訳でも、分岐点になる訳でもないかもしれない。でも、思い起こして素敵だと思えるものがあるというのは素晴らしい。だから今、とても嬉しい。

正直、中村倫也という人物を知ってから誰かに彼の魅力を伝えたいと思っても、なかなか難しかった。ひとつは映像作品では脇を固めることが多いということ。主演もあるけど、それはどちらかというとキャラクターのイメージが強く残る作品だった。もうひとつは彼が本領を発揮できる舞台のフォールドに人をいざなうのは容易ではないのと、その舞台作品が映像化されていないということ。結果、知られていないという状況だったと思う。それが少しずつ変わったのは昨年から今年にかけてゴールデンタイムのドラマに出演したことが大きい。そして、この『星ガ丘ワンダーランド』。前述したように「良い映画」だった。これだけ事務所ゴリ押しの映画だから、事務所のプロモーション作品になるかなと覚悟はしていた。良くも悪くも「中村倫也のイメージビデオ」であることはあまり否定しないけど、それは主役なんだし、こういう静かな映画だから気になるところではない。それよりも、主役はもとより個々の魅力が発揮されていたなと思う。

「星ガ丘ワンダーランド」という遊園地のある街で駅員をしている瀬生温人(中村倫也)は駅の落し物を管理し、その落し物をした人の人柄を想像することを趣味にしていた。そんな温人のもとに、ある日離れて暮らしていた母親(木村佳乃)が遊園地の観覧車から飛び降りて亡くなったという知らせが届く。そのことから今まで触れずにいた子供の頃の記憶を思い起こすと同時に、なぜ母親が死んだのかという謎の真相が明らかになっていく。

男性が母親との分かれと死を同時に受け入れていくという作業は、ともすれば慟哭が伴うかもしれないし、逆に虚無なのかもしれない。今回、中村倫也の表現は彼の陰と陽が観せたものだと個人的には思う。温人という名前のごとくぽかぽかと屈託なく温かい陽の面は、落し物の持ち主を想像してその人の絵を描くシーンで表現さていていた。でも、一方で母親の今の家族に対してはとても残酷で、どちらかというと無感情に接しているのが陰の部分だった。その瞬間なにもない能面のような表情をめくると、心の中の黒く渦巻く感情がぐるぐるとしているのが分かる。突飛なキャラクターではないからこそ、リアリティを求められる人物だからこそぐっと感情を押し込めるのを見ていて苦しい。途中、何度かわざと周りの人に喧嘩を吹っ掛けるシーンがあるのだけど、ああでもしないと上手く感情を表現できない人間が温人という人なんだろうなと思った。母親が再婚した家庭の長女の七海(佐々木希)に対して「あなたさえいなければあの人(母)は死ななかった」というところは、「自分は捨てられたのだ」ということを認めたくない気持ちが見え隠れするし、「家族じゃないから(母親が)死んだ理由がわからないんだ」と再婚した家庭の長男の雄哉(菅田将暉)に言った瞬間、ブーメランのように自分自身に返って傷ついている温人がいた。そんな陰と陽の姿が見られて最高という話。

そして楽しそうに絵を描く温人も、雨に濡れる駅舎も、山の頂上にある観覧車も全部美しかった。雪の中で母親の背中を見詰める幼い姿でさえも美しかった。起きている悲劇とは正反対の美し過ぎる映像のコントラストがとても効果的だった。にしても私がこんなに心を打たれたのは、実は作品の中の「星ガ丘ワンダーランド」は私の田舎にある遊園地だったから。

Last Days: Zoo & Aquarium

ここにはいろんな思い出がある。ふと、思い立って学生の時に行ってみた時が上の日記。今も営業中のはずだし、寂れた雰囲気はずっと変わらない。場所に関する思い出は私自身も結構都合のいいように記憶しているというか、もしかしたらそんなことなかったんじゃという勢いだけど、多分記憶なんてそんなものなんだろう。いつの間にかこの映画の中で起きたことが私の記憶になっているかもしれない。というのは冗談だけど、全くないとも言い切れないと私は思うのです。