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映画『キャロル』

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STORY

1952年のニューヨーク。デパートでアルバイトをするテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘へのプレゼントを探すキャロル(ケイト・ブランシェット)に応対する。優雅で気品に満ちた美しさを誇るも、謎めいたムードもある彼女に魅了されたテレーズ。彼女にクリスマスカードを送ったのを契機に、二人は会っては話をする仲になる。娘の親権をめぐって離婚訴訟中の夫と争うキャロルと恋人からの求婚に思い悩むテレーズ。そんな中、彼女たちは旅行に出掛けるが……。

映画『キャロル』 - シネマトゥデイ

 

REVIEW

 キャロルは美しい人たらし。自分を好いている相手が言ってほしいことやってほしいことが分かる。そして、その人に対して自分の輝かせ方が分かる。一方のテレーズはとても危うい人。周りにいるひと、ものによって自分の色が変わる。だからみんな彼女を自分の手で自分の色に染めたいと思う。自分の話で申し訳ないが、私はキャロルのように振る舞うことができるけれど、テレーズのように無垢にはなれない。これについては後述する。そんな二人の「憧れ」と「所有欲」がこの『キャロル』という物語の中心にある感情だった。

異性よりも同性の方が強烈な憧れを抱きやすい。そして、それは紛れもない愛情だ。むしろ、異性間の愛情の先には「子孫を残すというオプションがついているだけ」とさえ思うほど。憧れと所有欲が根幹にある愛情は純粋で強く、とても凶暴。テレーズは初めてキャロルに出会ってから最後までキャロルに目を奪われ続けていた。キャロルもそのことを知っていた。だから、彼女はテレーズを手に入れるために、テレーズの望む輝きを放ち続けた。

「キャロルのように振る舞うことができる」と高々と先述したけど、私は女子高出身で、そこで同性からの羨望や愛情を感じたことがままある。高校だけでなく、共学だった中学生の時もあった気がする。これは別に自慢の類ではなくて、そういう視線を意識して行動したことがあるかないかの問題だと思う。同時にその羨望に気づいてしまうことは悪でもある。同性の憧れは強い愛情になりやすく、ともすれば友情を簡単に飛び越えると思っているし、だからこそ受け入れるつもりがないのなら知らないふりをするべきだから。女子高時代、「男性恐怖症なんじゃないか」と思うくらいに真っ白な子がいた。この場所を出ていろんな人に出会ったら、いつか「わるいひと」に騙されちゃうんじゃないかって思うくらいに。私は彼女を守ってあげたかった。でも、責任を取れない私には彼女を守る資格もなかった。

自分のやったことに責任をとることができるキャロルには迷いがない。そしてキャロルが放つ光をその目で見つめ続けることができるテレーズにも迷いがない。そんな姿を見て皆「美しい」「尊い」と感じる。でも、私には眩しすぎた。果たしてあの時の彼女は変わりなく過ごしているだろうか。 元気だと言ってほしい。毎日楽しくしているよと言ってほしい。今更無駄なのに、そう思った。