刺青の男



【ストーリー】
己で刻んだ印を背負い、愛を求め続ける男たちの物語―――


刺青を持つ三人の男たち(牡丹の潟木、ラナンキュラスの武藤、狂い鮫の埜上)。それらに絡む謎の男、久保田。社会の裏側を生きる男たちに救いはあるか…? 刺青シリーズ完結編『みんなの唄』描き下ろし42ページを加え、すべての物語が収束される。ほか、片思いの相手が毎夜生き霊になって現れて…『はるのこい』『ゆめのあんない』を加えた異色作品集。
収録作品:「僕のカタギ君」「ラナンキュラスの犬」「狂い鮫とシンデレラ」「みんなの唄(描きおろし)」「はるのこい」「ゆめのあんない」



阿仁谷ユイジさんを紹介するのに最初にこの本をあげるのは相応しくないのかも知れない。それでも私がそうするのは、この漫画を特別なものと考えているからである。只の娯楽ではない、漫画と小説と映画の中間にあるもののように考えてほしい。

以下、ネタばれ有り。





正直、一度読んだだけでは話しに圧倒されて理解が追い付いていけなかったけれど、二回三回と読むうちにじわじわっと理解が広がって、更に心地良く疲労感を感じた。刺青シリーズとして雑誌に掲載されていた三編だけでは絶対にいけない。「みんなの唄」という書きおろしがあってこそ話しに深まりが出ている。
【僕のカタギ君】
初めは仕事の為に潟木に近づいたのだけれど、誤算の誤算で潟木を好きになってしまった久保田。けれど、警察官であることを諦めることはせず潟木を逮捕する。そこにはこちらが驚くほどなんの躊躇いもなくて、それでも潟木がヤクザであるということの社会的事実からは目を背けようと必死だった。最後までへらへらとしているのは、自分を保つため。そして逮捕されてもなお、潟木は久保田からの愛情を突きつけられる。初めて会った時、自らのことを“ペテン師”と名乗った男のことをそれでも愛していると実感する。久保田の人生の覚悟がここで既に決まっていた。
ラナンキュラスの犬】
愛していた女性の子供(坊)の世話係であるヤクザの武藤は、ヤクザの子供であることで苦しむ坊の自らへの愛情に困惑しつつ、受け入れる。初めは坊の母親の面影を坊に見ているし、もしかしたらそれはずっと変わらないのだと思うのだが、坊の組から逃げようという誘いに乗り実行に移す。先にも書いたが、永遠に武藤は坊に母親を見ているのだと私は思っている。それは良いとも悪いとも一概には言えない。坊だって武藤のその気持ちに気が付いているし、髪を伸ばし、痩身で、色白くという中性的な格好をしているのにも訳がちゃんとあるだろう。「僕のためだけに生きろ」と言ったのも組から離れて、一人間として見ればいいということだけではない、寧ろ坊自身の願いのようなものも感ぜられる。
【狂い鮫とシンデレラ】
対抗していた組の内部決裂をきっかけに街を牛耳ることに成功した埜上は、仕切っていた風俗店にいたキャストを捕まえ、襲う。しかし、それは抗争の調査を続けていた久保田であったという筋なのだけれど、個人的に久保田が潟木という名前を聞いてむくりと起きあがる瞬間とつけまつげがはらりと落ちて、女の子ではなくなる瞬間に震えた。そしてこれはただの復讐なのだと分かった時にはつらかった。誰も認めない復讐なのだけれど、覚悟を決めた久保田にはもう迷いはなかったのだ。そういう人間はとても強いけれど、魂を悪魔にあずけているみたいでとてもこわい。「どれほど純粋な夢よりも愛よりも 夢の色よりも純粋に輝くのは富の色 そして愛の甘さよりも純粋に香るのは」「夢の色よりも純粋に輝いて 愛の甘さよりも純粋に香る その欲望は何よりも純粋で 重く深く沈んで 手に入らないから壊したい」そう考えを巡らせていたのは埜上だと思う。ドブの底に沈殿してしまった、何より求めていて、手に入らないものは“愛する”こと。それを理解していても埜上にはどうすることも出来なかった。
【みんなの唄】
武藤と幸せに暮らすことを望んでいた坊。武藤も坊のことだけを見ていてくれた、有馬と呼んでくれた、二人以外誰もいない世界でそんな夢を見ていた。耳鳴りの伏線と共に模範囚として出所した潟木は久保田に迎えられる。エイズに感染したかもしれないのに体を繋げたのは偶然ではなく必然で、それは久保田も知っていて受け入れた。そうして再会した“武藤たち”とは武藤の夢を見続けながら、病院で機械に繋がれた有馬だった。久保田は言う。有馬と逃げるときに死んでしまった武藤も、それを手伝う筈だった潟木も、潟木を逮捕した久保田も、武藤を殺した埜上も、みんな報いを受けなくてはならない。不幸の連鎖とはまさにこのことだ。久保田は続ける。「謝る代わりに祈ればいい 『皆が幸せな夢を見られますように』 『せめて夢だけでも』」

これをバッドエンドと言う人もいるし、ハッピーエンドではないと言う人もいる。けれどそもそも漫画の終わりにハッピーもバッドもないのだ。どこかで生きる彼らは未だ何かを背負って生き続けるし、漫画だからこそ絶体に死んだりしない。だからこそこの話がこれほどに美しくて愛しい(かなしい)のだ。


P.S.
表紙の絵が出所後の場面であり、久保田のあの表情がどうしても頭から離れない。