取り留めもない

映画や舞台の感想書いたり、たまに日記も

映画 『哭声/コクソン』

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STORY

平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男につい ての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った 眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く。ジョングは娘を救うためによそ者を追い詰めていくが、そのことで村は混乱の渦となっていき、誰も想像できない結末へと走り出す――

哭声 コクソン(2016)の映画レビュー(感想・評価)・あらすじ・キャスト | Filmarks

REVIEW

感想をはやく書こう書こうと思って一週間経ってしまいました。文字で読むよりとにかく観て〜〜!って感じなんですけど、観るためにも誰かのレコメンドがあって良いかなと思うので筆を執りました。嘘です、ただの壁打ちです。

いろんなところで「マッドマックスみたい」と言われていますが、ハイローのようにリアルに車両が出てくるわけでなく、物語を超えて伝わるものがやっぱり「すごい」としか言いようがない、それが『マッドマックス』という感じですかね。いや、正直なところマジカルパワ〜〜〜で突き通してるので、ずるいって言えばメチャクチャずるい。でもなんかそんなんどうでもよくない?呪いだし、悪魔だし、鬼神(きしん)のせいだよね。でもさ、それなのにすごくパワーで押し切るやん。ある種神様のくせにそんなに疲労する???って突っ込みたくなる。いや、突っ込んでいいんだよ。笑える。ハチャメチャに笑える。

日本で話題になったのは國村隼さんがかなり重要な役で出てるからだと思うんですけど、なんでこんな役引き受けたんやろか。一応日本人として出てくるので、平面的にみたら韓国🇰🇷に侵入する日本🇯🇵の構図になってて、いろいろ面倒くさそう〜〜〜と思うけど、でも観てみると割とそんなのどうでもいいやってなる。どっちかっていうと、韓国人の信心(キリスト教VS土着の宗教)が問い直されている?って感じで意味不明なの。まぁこの説明で分からなくて良いです。いや〜〜ファンジョンミン。ファンジョンミン。ファンジョンミン。三回言うくらい良い。僅かに描写バレするけど、鼻と口からブシャーーーー!ってなるところメッチャ笑えたのにみんな笑ってないの。私が可笑しいみたいじゃん。面白いのに。ファンジョンミン好き。

閑話休題。これは余談だけど、観終わって何かに例えるなら三池崇史の『探偵物語*1』かなって思った。松田優作薬師丸ひろ子じゃないやつ。主演が中山一也っていうだけで、一定数の人を突き放してるあの作品。あまりにも非現実なグロテスクが続くと途中から面白くなってくる感覚が非常に近いですね。久しぶりに観たくなってきた。そういうの作ろう三池崇史

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朗読劇への期待値

これ単純に気になるんです。そんな私は今までそれっぽくないのを2本、それっぽいのを1本、計3本観てきました。

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全 部 面 白 か っ た

これは雑感なんですけど、それ(朗読劇)っぽくないのは完全に動きがあって感情を動作で表し、ときにアドリブっぽい即興性を感じられたから。一方のそれっぽいものは、椅子に横並びで座ってお互い顔を突き合わせることなく、予め決められたものを遂行していく作り方。個人的な意見としては、わざわざ朗読劇でやるからには、後者の静謐な空気感や、物語の伝え方を求めてるんだろうなと思っています。じゃあ、なんでそれっぽくないものもあるのかというと、朗読劇の可能性を拡げるためとか、少ない動きとセットでどれほど伝えられるのかということを追求するためとか、逆にあまりに壮大な世界観で物理的に表現することが困難だからとか、たかが観劇するだけの人間には想像しかできない、それはそれはいろいろな理由があるはず。ちなみに、「朗読劇」でググったらこんな風に書かれていました。

朗読劇
読み方:ろうどくげき
別表記:リーダーズシアター

役者が台詞を暗記するのではなく、台本を持って音読するスタイルで上演される劇。主に声による劇的演出によって観客にイメージを伝える。

朗読劇とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

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上記の記事で、「一般的に、朗読劇は「声優」により上演されることが多いです。マイク前で台本を持ちながら芝居をする声優が、実際にお客様の前、舞台上に立って芝居をするので、声優の勉強をしている役者さんには馴染みがあるでしょう」とあるように、声優が朗読劇を行う場合と、俳優が朗読劇を行う場合ではアプローチの仕方も、その難しさを感じる部分も違う。でも一観客の私が「朗読劇」に対して個人的に強く感じるのは「朗読劇だと準備期間が短くなりがち」ってことなんですよ。役者さんはみんなお忙しいですし、フィジカルを酷使するものよりは確かに鍛える部分も少ないかもしれませんが、なんだかその暗黙のルールが少なからず観客の作品への期待値にも繋がっている気がしてならない。そしてその期待値のまま、「朗読劇だから」が原因で観ない人がいるとか、作ってる方のモチベーションが変わったりするのかなと思うとなんだかちょっぴり悲しい。

閑話休題

こんなアンケートがあったけど、劇場施設の環境に限らず、「朗読劇で◯◯◯円以上は…」と考える人もいるだろうと思う。「どんなところでだって、どんな作品だって、いくら出しても良い席で全通するんだよ」ってオタクが言っても、それは完全に一部の話。私が勝手に立ち上げたこの「朗読劇問題」に対して、なにか鈍器のようなもので世の中が殴られるようなことがないと、その意識はなかなか変わらないと考えている。簡単に言うと、上演した結果「ストレートプレイで観たかった」と言わせないようなものでないと意味がないと思うのです。

そんなところで、3月16日からスタートする『ぼくらが非情の大河をくだる時』に少なからず、いや多大に期待している者としては、世間の期待値が自分のそれと合っていないと、居心地の悪さを感じまくりです。これに関しては代替公演*1ということもあっていろんな事情があるんだろうけど、なにより中屋敷さんはパルコ劇場付の演出家っぽくなってきたなと。結局、あまり席が埋まってない公演に行くのが好きじゃないので、どうにかならないかなと思っている次第。中屋敷さんの朗読劇だったら絶対面白いに違いないし、『朝彦と夜彦1987*2』という前例もある。ただ、前述の理由よりリーディングドラマとしてはキャパが広い(368人)と思う。そして作品自体が渋い。個人的には棺桶や便器はどうなるの*3!!!という気持ち。そういう探り探りな要素が多いことが、いまいちお客さんの期待値を引っ張っていけない理由だと思うんです。

この「朗読劇への期待値」に関する考察にもならないまとまらない考えは、総て私の変な思い込みであってくれと願っています。まぁ知らんがなって話でした。

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舞台『K.テンペスト2017』

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作品情報

串田版シェイクスピア幻想音楽劇  記憶の嵐が巻き起こる

これは海で溺死したものたちの遥かな夢である。

海底に漂ったものたちの、懺悔に近い想いである。

砂となって海辺にうち上げられ、また引いていった骨のかけらたちの、悔恨と願いである。

われわれは、たとえ無自覚であっても、何万億の死者たちの聞こえない声に包まれている。

そして遠い未来の、ほとんど宇宙そのもののような命の根源の聞こえない声に導かれている。と、今この瞬間にしか生きていると自覚できないわれわれは、ぼんやり想う。

そして、音楽が生まれ、物語が生まれ、演劇が生まれる。

400年前のイングランドでも、そして現在でも。

K.テンペスト2017|KAAT 神奈川芸術劇場

REVIEW

私はウィリアム・シェイクスピアについて何も知らない。そのくせ「知っている」と言えるまでの道のりが途方もなく遠く思えて、一歩踏み出すことさえ尻込みをしている。なにより取っ付きにくい。もちろん戯曲を読む気合いもない。だからただただ不安だった。原作も読まず、あらすじもろくに知らず彼の世界に参加できるだろうかと。でもそんなのは杞憂だった。これはあまりに純粋な演劇体験。最後の拍手の意味まで想像された物語。音楽や照明は過不足なく、もちろん台詞にも無駄がない。全身で全部楽しんで気づいたら終わっている。すごい。そして演劇は決して高級な遊びではないと改めて思った。どこまでも人々に寄り添っていた。アナログなのに洗練されている。本当にすごい。

そして玉置玲央のその姿。贔屓目で言って彼の強靭な身体は輝いていた。あれを自分のものとして機能させたいと心から望んだ。上演中だけは成り代わって体験している気分になれた。つくづく自分は今まで俳優を観に舞台に通ってたんだなと自覚した。それが良いのか悪いのか誰に判断されることでもないけれど、少なくともこうして素晴らしい作品と出会うことができたのだ。しばらくはこのままでいたいと思う。

オフィスコットーネプロデュース『The Dark』

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STORY

ー三つの家族、ある一夜の不思議な物語ー

舞台はイギリスの典型的なテラスハウス
同じ間取りの三軒の家に、三つの家族が生活している。
それぞれの家族には秘密があり、ある日突然
訪れた「闇」を境に、それは徐々に明るみに出る。
家族だからこそ、近しい相手だからこそ、正直に話せなかった想い。
「The DARK(闇)」の中で少しずつ自分をさらけ出していく
家族の、崩壊と再生の物語。

オフィスコットーネプロデュース『The Dark』 | 吉祥寺シアター

REVIEW

正直言うと「面白かった」というような楽天的な感想は持てなかった。それはこの作品が陰鬱だからとか、残酷だからということではない。なんだか、噛み合っているようで、出し抜かれているような感覚が気持ち悪くて仕方なかったから。思考停止しそうだったくらいだ。先に書いておくが、これがもしその感想まで計算して作っているのだとしたら流石だと思う。

三つの家族、それぞれが抱える闇。それが停電の「闇」により明らかになる。暗闇の中で明らかになる。その引き金となる自閉症気味の男の子。この子にもう少し感情移入できればもっと楽しめたのかも知れないけれど、なんだかちょっと中二病が過ぎる台詞でそれがうまくいかない。状況を打開する存在としてどうしても弱い。それなら暴徒が家を間違えて各家を襲って、その流れで奥さんは不倫して、赤ちゃんが息をしなくなったほうが面白かった。それは冗談だけど。

ただ、この物語の中に流れる「一体何が駄目だったのか」という空気感は面白い。それは、それぞれの家族に対しても、物語全体に対しても。2004年に初上演された作品。今から12年前。それにしては全体的に古臭い。いつの時代だろうと考えていたら、アメリカっぽいのラップの曲が流れてきて、更に状況がわからなくなってくる。そういうことを考慮する話じゃないのかもしれない、そうだな、と思っても家族のあり方ひとつにしても、皆何がそんなに気に食わないのか、イギリスの天気が悪いから苛立ってるのか、天気はいつものことなのに、何がこの停滞感の原因か誰にも分からない。どこで何を間違えたのか、どの人物もずっと考えている。私も分からないよ。唯一、分からないということが分かった。でも、恐怖を植え付けてる~のくだりは全然分からない。私がイギリスのリアルから遠いところにいるのか、この物語がイギリスのリアルから遠いのか、そのどちらもなのか分からない。教えて偉い人。

もし人間の生活がこれほどまでに共感しがたいものだとしたら、私はこれからどう生きていったら良いのか分からない。ここまでに何度「分からない」と書いたか分からない。音楽との相性はすごく良かったからミュージカルにしたらまた気持ちの乗り方が違ったんじゃないかなと思う。発言に全く責任は持たないけど。以前、舞台の演出の感想で「ホラーノベルゲームっぽい」っていう表現があって膝を打ったことがあるけど、今回舞台上にザーっと映像が映された時に同じこと思った。なんか異様な空気感。何か起きるんじゃないかと思って見てると確かに何かがいろんなところで起こっているんだけど、これが決定打ということはほとんど無い。なんとなく嫌な感じ。それが一番の魅力なんだろうと思った。

公式サイト

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映画『お嬢さん』

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STORY

日本の統治下にあった1930年代の韓国。詐欺師たちの集団の手で育てられた少女スッキ(キム・テリ)は、伯爵の呼び名を持つ詐欺師(ハ・ジョンウ)から美しい富豪令嬢・秀子(キム・ミニ)のメイドという仕事をあてがわれる。スラム街から彼女とそのおじが暮らす豪邸に移ったスッキだが、伯爵は彼女の助けを得て秀子との財産目当ての結婚をしようと企んでいた。結婚した後に秀子を精神病院に送り込んで財産を奪う計画を進める伯爵だが……。

映画『お嬢さん』 - シネマトゥデイ

REVIEW

想像してた50倍エッロ~~~~かった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(知能3)

ガールズムービーなるほどって感じの内容だったけど、なんかそんなのどうでもいいってくらいに画が良い。洋館と日本家屋の中庸。大正浪漫を感じるお屋敷に洋服と和服を交互に、ときに合わせて着る富豪令嬢(たまに『スーサイドスクワッド』のエンチャントレスる)。エログロナンセンスな世界観は決して乱歩ではない。もっと下等で下品な美しい世界。そこで令嬢が朗読するお話は言うなれば「富士見ロマン文庫*1」。誰かにとって重要でも、外から見れば滑稽なもの。映画自体もそんな作品だった。

ところどころ、イギリスのロマン映画、例えばロマン・ポランスキー監督『テス』(原作トーマス・ハーディ)*2を感じるシーンも差し込まれて、「ああ、多分そのあたりを目指してたのかな」とか、最後の方は川島芳子だなとか一人考えてた。と同時に、「澁澤龍彦が生きてこれを観たら何て言うんだろう」とも思った。それっぽいものを詰め込みすぎでお腹いっぱいなのだよ。全く考える余地がない。これについていかんせんと思ったらこの作品、原作があるそうで、そして監督のパク・チャヌクが原作にいろいろ感じて変更を加えているようで、「なんだ誰かの二次創作なのか」と思ったら詰め込みすぎなのはそれはそれで納得がいった。

チャヌク:原作の小説(サラ・ウォーターズの『荊の城』)を読んでいるときからすでに考えていたことがありました。『荊の城』は本当に上手く書かれている小説で、キャラクターの描写もすばらしいです。

ただ一読者としては、あまりにも前半の内容が良すぎたので、お願いだからこのふたりがお互いの本当の気持ちを率直に伝えて、ふたりでひとつになって男たちをやり込めて、楽しく最後はどこかへ行ってほしいと読んでいるときに思いました。最後は楽しいセックスで終わって、ふたりで楽しい場所へ向かってほしいと願いながら読んでいたんです。なので、今回の映画で描かれているクライマックスは読んでいるときから想像していました。それは絶対に映画のラストはそうしようという思いというよりは、そんな風に小説が終わってほしいなと思っていたんです。

映画『お嬢さん』パク・チャヌク監督にインタビュー:「抑圧されている状況の中で戦う女性こそが魅力的だと思っている」|ギズモード・ジャパン

良くも悪くもここまで思いのこもった二次創作に言うことはありません。いや待ってひとつだけ。イ・スヒョク*3の『お嬢さん』を観た感想がほしい。

公式サイト

ojosan.jp

映画『At the terrace テラスにて』

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STORY

この95分間に全てが起きるのです―――
そこは東京郊外のとある屋敷のテラス。パーティーは終りかけ、残ったのは7人。豪邸の持ち主である専務とその妻とイケメン息子。透き通る様な色白の女性、はる子。その夫であるグラフィックデザイナーの男。胃を切り取ったばかりの中年男。エリートだけど恐らく童貞の会社員。彼らの腹の中に、それぞれに帰れない理由があった。
男たちははる子の「白い腕」に魅せられ、まるで蛾のように群がって離れない。そして、そのはる子にメラメラと嫉妬の炎を燃やす専務婦人。笑い声がさざめき、無事に終わるはずだった富裕層たちのホームパーティーはそれぞれの胸に秘めた秘密・欲望・妄想によってあらぬ方向に展開する。果たして無事にパーティーは終わるのか、その結末や如何に・・・

At the terrace テラスにて テラスにて » 新宿武蔵野館 

 REVIEW

なんていうかもう、この物語がどう面白いかの説明は、これが日本語会話劇の粋を結集したブラックユーモアに溢れた作品であったということでひとつ完了とさせていただきたい。観て。そして開始一分で薄ら笑いを浮かべてそのまま90分終わってたってなってほしい。言葉で表したくないんだこの作品についてはどうしても。

話の作り方とか展開として好きだなと思ったのは、「特筆して登場人物について説明しない」ということと、「90分間一度も時間が飛ばない」ということ。前者については、違和感のある説明なしでも、ここまで人間の脳は想像力で補うことができるんだと思ったし、後者については時間の広がりと物語の広がりは比例しないと実感することができてよかったなと。これからは存分に、無駄な説明と時間操作を加えた作品の拙さにばっさばっさと言及できる。勝手にしてろという話なのだけど。

アフタートークで、これは「映画的な作品」って言ってて、まあ確かに「舞台作品」っていう前提で考えればそうかもしれないんだけど、それでも私は映画側から考えて、舞台を観たことがない人に観てもらって、そこから本多劇場でもスズナリでも行ってもらうような相互性が生まれる「舞台的な作品」だと思った。例えば、『ラ・ラ・ランド』観た人で「ミュージカルを観に行きたい」と思う人があんまりいなそうだから「ミュージカル映画」と思えない、というような理由と同じ。

でもそんなのどうでもいい。ひとまず観て。モモンガがかわいいから!

公式サイト

attheterrace.com

関連サイト

aooaao.hatenablog.com